こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

夜の散歩

真夜中、どこか行きたいな、って思って、出かけたとき、どこかいける場所がないものだろうか。ふっと一日が不完全燃焼な日とか、何か、考えに耽りたい時とか、日が完全に沈んでから、屋外を散策したくなる。が、特別な行き場が見当たらない。大抵の場合、近所の公園を一周して、そして、気持ちを沈めて、アパートへ戻る。散歩は好きなのだが、公園の一周は、始まりと終わりがほとんど同じなようで、どこか物足りなさを感じてしまう。

カラオケ、とか、本屋、とか、そういうんじゃないのだ。そういうなんというのかな、俗っぽく言えば、金を使う、商業施設へは行きたくないのだ。夜、寂しくなると、コンビニとか、スーパー銭湯とか、そういう商業施設へ用を足しに行きたくなる。でも、内心、わかってはいる。別に、ここには用などないのだ。食べ物なら、家にあるし、銭湯でのんびり湯冷めしたい気分でもない。ただ、なんとなく、金を使うと、安心して、何か、やった感じがするから、それで、つい、もう、ただの依存症である。依存って、基本的に不要である。心の底から楽しんでいる、って但し書きがない限り、依存なんていらない。

依存心をくすぐらない何か。中毒症状を引き起こさない何か。始まりと終わりが、食い違う何か。近所の野良猫と遊んだりとか、カラスに餌をやったりとか、そういうことをしたいだけなのかもしれないけれど。

例えば、俺など、ふっと、真夜中にさまよい歩きたくなるとき、例えば、その特別な当てもないくせに、いつもと変わらぬ道筋の散歩を、まるで映画かなにかのように作品にしてしまいたい、ってふつらと思うことがある。そういう感じ。そういう感じの満たされなさ。

俺は、俺の街に、真夜中にふつらと出かけたとき、完全に自由な心で立ち寄れる、何か起こせる、何かを少し変える、少しどころか大変に変える、そういう場所を作りたい、と思っている。

そういう場所があっていいと思う。そうした場所を内包しうるだけの(人口面でも、多様性の面でも)豊かな都市基盤はすでに出来上がっている。