こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

乳母車に乗りたくなる

乳母車、いいなあ、と今朝方思った。乳母車乗りたい。大人用乳母車、ないものかしらん。

なんで、そんなことを、大の大人である僕が思ったかと言えば、朝方散歩に出かけていたからである。散歩中、ぼんやりと、空を流れる雲を眺めていた。遠くの雲を眺めるのって、目の疲れもとれていいかなあ、と思ったのだ。対流が緩やかなのか、周囲の建物や道路の風景はぐんぐん流れて行くのに、雲の模様だけが変わらなかった。少しずつ日が昇り始めていたから、色彩は変わっていったけれど。地上と、対流圏の雲とでは、時の流れが違うのかなあ、とか思った。人間の世界は、割合、細かく変化して行くけれど、雲の世界は、もっとゆったりと、大きな流れて動いて行くのだろうか、などと、思った。要は、雲を眺めていて、心が穏やかになった、普段感じないことを感じ取り、嬉しくなった、というわけである。

で、ふっと思った。乳母車に乗ってる赤ん坊って、こんな風に、毎日、散歩中に、空やら雲やら眺めているのかなあ、と。もう、僕自身赤ちゃんだった頃の記憶は遠い昔で、忘れてしまったけれど。もちろん、周囲の人々のことや、犬や猫や建物なども眺めているのだろうけれど、乳母車が、赤ちゃんが寝ながら移動できるという構造上、赤ちゃんは、さぞかし空を眺めていることだろう、と思った。四六時中、空ばかり見ているってどんな気分なんだろうか。

で、少し、羨ましくなったのである。

羨ましいというか、懐かしいか。僕だって、かつては、乳母車を乗りまくっていたのだ。

乳母車に乗って、散歩に出かけるっていうのは、赤ん坊にとって、結構莫大な影響を与えるんだろうなあ、と思った。そりゃ、危険な場所とか、びっくりしてしまうような場所へは連れて行かないほうがいいんだろうけれど、乳母車に乗って、あたりを散策することは良いことなのだろう。意外と、赤ちゃんの方が、普遍的で高度な思考をなしているかもしれない。

僕も、今でも、乳母車に乗れたらなあ、と思った。人間は二足歩行だから、基本的に、前方か、斜め下を眺めがちなのだ。同じ姿勢ばかりだと、少し飽きてしまう。色々と、飽きている。背の高いビルに登っても、結局、見下ろしているだけだったりする。展望フロアって、あんまり展望している感じがしない。

考えてみると、ブランコとか、滑り台とかも、視界の向きを変える。その感じが懐かしい。

乳母車みたいな、何か。近い将来、自動車の自動運転化が普及したら、乳母車デザインの、搭乗者が、半ば寝転べるような自動車が開発されればよいなあ、とおもう。(まあ、自動車じゃなくたっていいし、自動車なんて基本的に、人間の生活に不要だとは思っているけれど。事故も増えるし。道路も増えるし。ガス臭いし。でもまあ、一つの仮定だ。)

 

国道を走る全ての車が(高速道路や市道でもいいけど)、全て巨大な乳母車に変わった世界。きっとその世界は面白いと思う。