こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

うだうだ

気持ちが悪い。食べてすぐ眠ったからだ。一般的なことはわからないが、僕は、食べてすぐ眠ると、どうにも消化不良を起こすようである。お腹の底の方がぐるぐるいい出し、ガスっぽい匂いがどこからともなく漂ってくる。暑かったから、食べてすぐ横になった。何やっているのだか。僕は先日、仕事を辞めた。やめなきゃよかった。こんな、暑い中、家に居たって仕方がない。職場の冷たい冷房の効いた中で、いつも通り仕事をして居られればいいのに。感情的に、仕事をやめて、バカじゃないのか。そもそも、僕は神経質すぎるのである、結局、仕事をやめたきっかけは、いろんなことに、気持ちがかき乱されたからだ。結局、僕が一方的に、気づかれてしてしまったのだろう。まあ、それをいうならば、この現状について、あーだこーだ思い悩んでいる時点で、同じ轍である。まあ、こういうこともある、とさらりと受け流して、やりたいことだけ、熱中して、例えば、電気代を気にして、エアコンをつけないとかそういうことはやめにして、快適にくつろいでいればいいのだ。次の仕事だって、すでに決まっているのである。しばらくしたら、新しい仕事が始まる。夏本番はもうすぐであるけれど、暑い日中、それなりに冷房の効いた屋内で、のんびり配膳の仕事を始めるのである。特別に問題はない。新しい仕事には以前から興味があった。いまとは違う仕事を体験して見たいという好奇心があった。その好奇心が満たされるのだ。いいことだ。なんか、自分で自分に言い聞かせている感じがする。先ほど、ついにバカバカしくなって、部屋のエアコンのスイッチを入れた。自然と汗が流れないくらいの冷風が部屋を満たしている。最初から、文明の利器に頼って居たらよかったのだ。

何事も、自分の都合だけ押し通したら破綻してしまうのかなあ、とぼんやり考える。そりゃ、わがままな人間は僕だって嫌いだ。実家に戻りたい、って思いがあるけれど、実家に戻ったら、これまで一人暮らしの中で築いてきた人間関係とか、生活環境だとかが全てなくなってしまうようで、不安だ。でも、ずっと一人で暮らしていくことにも、うんざりしている。

なんでブログを書いているんだろう、この文章だって、ブログに載せるのだろうか、馬鹿馬鹿しい。俺のブログって、偏見の押し売りに過ぎないじゃないか。なんだか、疲れたなあ。

新しい仕事が始まれば、生活へのメリハリが戻るのだろうか。新しい仕事が始まれば、そこでまた、新しい人間関係が育まれて、楽しくなったりするのだろうか。前の仕事が、実を言えば好きだった。今更である。戻りたい。いきなり辞職しておいて。別に、それは問題ではないかもしれない。戻っても、また辞めたくなったりするんじゃないか。自分の決断に信用がおけないな。

いま、気持ちが落ち込んでいるのは、季節の変わり目で気温が環境が一気に変わってしまったからと、単なる夏バテだろうか。お母さんと一緒にいたい。本当は、自分自身に、不能感というか、不可能感を感じている。車の免許も持って居ないし、近眼だし、近眼の方は最近少し改善したんだけれど、車の運転中事故してしまいそうで怖い。金もない。友達はいる。恋人はいない。別に、いなくてもいいんだけれど。仕事はない。もうすぐ、再開する。趣味はある。こうして、文章を書くのも楽しい。いや、いまは、少し気持ちが沈んでいるけれど。なんで、こんな文章を書いているんだろう。薄暗い気持ちになる。気持ちが落ち着くからだろうか。それとも、ほかには何もやる気が起きないためだろうか。単純に、暑さに体力をうばされただけだろう。でも、そんな毎日がこれから夏が終わるまで続くのかなあ、と思うと、ちょっとうんざりする。実家に戻りたいなあ。実家に戻ったら、戻ったで、閉塞的な気持ちになったりするんだろうか。

要は、僕は、不完全な視野で物事を眺めて判断しているのだろう、とおもう。未来のことがわからないくせに、未来についてあれこれ気を揉んでいる。無意味だろうに。本当は、家族と暮らしたい、って内心思っている。でも、なぜか、踏ん切りがつかない。近所付き合いが怖いのだろうか。そんな大それたことではないだろうに。理想の自分像みたいなのがあって、その理想像と乖離するのが嫌で、実家へは戻りたくないのだろうか?地元に帰ると、いまこの地で仲良くなった友達と会えなくなる、それが寂しいのだろうか。うん、寂しい。

役割が欲しいのかなあ、と思ったりする。現在僕は無職だから、役割というものがまるでない。なんだか、というか、まさに、誰の役にも立っていない。その事実が嫌なのだろうか。嫌だ。

ああ、お腹からガスの臭いがする。嫌いだ、この臭い。食べてすぐ眠ると良くない。どうして、よくないのか、わからないけど。

僕にとって、幸せってなんだろう。毎日、ある程度、小説をかけること。絵もかけること。絵じゃなくてもいいんだけれど、何かしらかの創作ができること。ゆっくりと眠れること。お腹いっぱいご飯が食べれること。暑すぎず寒すぎないこと。友達がいること。誰かの役に立っていること。楽しく仕事ができること。誰からも貶されないこと。誰も貶さないこと。習っている武術が順調に上達していること。子供に好かれていること。いや、この子供に好かれる云々は、付け足し臭いかなあ、これまで、別に好かれてこなかったし、だからと言って、不幸な気分になったこともない。生きがいって言葉は、なんだか胡散臭くて好きじゃないけれど、充実感を持って生きたい。けど、まあ、例えば、新しい仕事について、それなりに、人の役立てたとしても、それがなんなのだ、って気分もある。所詮、目の前の人の役に立てただけだろう、って。世界平和とか、そういう視点から眺めると、ほんとちっぽけな活動だろう、と。そういう風に、俯瞰して、自分のちっぽけさを思い知るのは、実は嫌いじゃない。

要は、快適に暮らしたいって気持ちが一方にあって、もう一方に、自分がやりたいことやりたいだけやりたいって気持ちがあるのだろう。その自分のやりたいことの中には、仕事も含まれているのだろう。今朝方、屋外をぶらついていると、とても楽しげに仕事をしている人を見かけた。表面上は悪態をついているのだが、とても楽しげに悪態をついているわけである。あ、この人、楽しく仕事してんだなあ、と思った。そういう風になりたい。仕事をしていたって、社会の中で生きていたって、自分はちっぽけなままだ。限定された存在のまま。

どこかのタイミングで、実家に戻りたいと思う。実家に戻ったら、習っている武術も、まあ、そこまでだ。新しい先生を見つけてもいいけれど、武術がやりたくてやっているというより、この先生に習いたくてやっているって、感じだから。それはそれで、実は、一向に差し支えない。

何をしたい?

現時点で選択した道が実は、現時点での最適解だろう、ってことはわかっている。自由時間を確保したいから、アルバイトを選択することにした。時給は悪くないから、以前の非常勤雇用と、多分、収入に差はない。

僕には、ここで生きていくっていう、地に足つける考えが足りないんだろうか。コロコロと考えていることが変わる。節操がないな、って思ったりする。バカにされているような感じがして、資格は取りたくない。けど、絶対に取りたくないってわけじゃない。

本当は、金が欲しい。金があると、きっと便利だ。色々と気兼ねしなくて済む。やりたいことが、見つからないなあ。このまま死んでいくのが嫌だ。結局、いろんなものに振り回された挙句、自縄自縛に陥っているだけだ。昨日今日の俺、ただ、ぼんやりと、何事もなく過ごしているだけじゃないか。