こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

ラジオと嘘(ラジオと僕)

僕は、ラジオから流れてくるJ-POPがあまり好きではない。好きな曲も、中にはあるのだけれど、基本的には、大嫌いで、思わず耳を塞ぎたくなることもある(神経質になっている時など)。

理由は、簡単で、嘘を吐かれると傷つくから。で、ラジオから流れてくるJPOPを聴いていると、時折、嘘を吐かれた気分になるから。だいたい、五、六分に一回くらい嘘を吐かれている気がする。

嘘に耐性をつければいいのだろう、とも思う。が、現時点で、僕には、嘘に対する耐性があまりない。なので、僕は、ラジオを聴くと傷つくのである。番組にもよると思う。けど、僕が、ここ数年、仕事中(だいたい、朝八時~朝十時、夕方四時~五時)に聴いていたラジオは、ラジオ局にもよるのだけれど(NHKとかは、割合嘘の確率が低かった)、嘘ばかり吐いてくる。

腹がたつ、というよりも、悲しくなるし、悲しくなると同時に、訳がわからなくて、混乱してくる。ああ、今も、かつて散々聴いた、西野カナさんの歌声が脳内でリフレインしている。もう、西野カナさんの歌声を記憶から消したい。(ちなみに、ここで西野カナさんという固有名を出したのは、本当に、今、脳内で、彼女の歌が響いてきたためです。ただ、以下の文章で取り上げる具体例は、彼女の歌を想定したものではありません。)

例えば、「愛している」って歌詞。「あなたが世界で一番好き」みたいな歌詞。嘘こけ、と思う。いや、こういう系統の歌詞は、割合頻繁に流れてくるのであるが、どう考えたって、誰がどう考えたって、「嘘」じゃないか。

まず第一に、歌っている彼女は、その歌詞を作詞していない。

まず第二に、歌っている彼女は、僕という個人を知らない。これまで出会ったこともない、存在を知らない他者のことまで愛せたら、それは本当に、素晴らしいと思う。けど、僕には、ラジオでもっぱら流れるJ-POPミュージシャンたちが、そこまでの博愛主義者には感じられない。

愛している、って公共の電波を使って、主張しているのだ。当然、愛している対象は、リスナー全員となるんじゃなかろうか。でも、本当に、その歌の歌い手は、リスナー全員を愛しているんだろうか。

「愛している」「恋している」以外にも、様々な嘘がまかり通っている気がする。

「やってみよう」系の歌。目的も不明確なまま、ただただ、「やれ」「とにかくなんでもいいからやれ」ってリスナーを急かす歌。中には、名曲もあると思う。好きなことを好きなだけやればいいんだよ、って自由な人生を肯定する歌だってある。けど、僕は、「自由にやったらいいんだよ」って伝えたいなら、そんな騒がしく、がなり散らすなよ、と思う(こうした思いは、ちょっとひねくれた天邪鬼発想かもな、とも思うんだけれど)。「ああ、わかったよ。やってやるよ。俺は、俺の好きなことを俺の責任でやってやるよ。けど、ちょっと待ってくれよ。お前らうるせえよ。俺は、今、自分が自分の人生使って、何を成し遂げるかを、じっくり考えている最中なんだ。うるさくて思考に集中できんわ」とか、思ってしまう。まあ、そう思うなら、ラジオ消せって話ではある。

ただ、「やってみよう」系の歌の欠点って、聴いている人間の思考力を鈍らせる点である、とは思うのだ。ただ、テンションで押し切る。やりたいことはやりたい。と僕も思う。けど、やりたいことをやる際は、しっかり冷静になりながら、思考しながらやりまくろうよ、とも思う。

「やってみよう」系の歌って、応援してんだかしてないんだかよくわからないのだ。結局、彼らにとってのやってみようって「音楽、やってみようぜ」とか「ライブ来てくれよな」とか「フェスでみんなで盛り上がろうぜ」とか、そういう自分たちの小遣い欲しさの「やってみてくれよ」じゃないのかな、って勘ぐってしまうのだ。まあ、いちゃもんかもしれないけど。

僕は、ラジオDJが、基本的に嫌いだ。本職のDJってのが嫌いです。(兼業ラジオDJは割と好きだったりするんだけど。)彼らは、結局、リスナーに対し、いかに、金銭欲を沸き起こさせるか、しか考えていないんじゃないかなあ、って悲しくなる。結局、ラジオで、バンバンJ-POPを流すのは、リスナーに音楽フェスやら大規模ライブやらへの興味を植え付け、金を稼ぐためだろう。堂々と通販番組が流れることもある。けど、音楽フェスや大規模ライブってDJさんたちが推奨するほど、素晴らしいものなのかなあ、って思うのだ。本当は、対して素晴らしくないものを素晴らしい、憧れの対象として祭り上げているんじゃないか。これも、広い意味で「嘘」ではないか。

例えば、フェスの場合。(ちなみに、僕は、野外音楽フェスには一度しか参加していない。そのため、かなり偏った印象論になると思う。もちろん、素敵なフェスもあると思うし、僕が参加したフェスもなんだかんだいって結構楽しかった。)第一に、暑い。第二に、基本立ち見。第三にガラの悪い客もいる。第四に、たくさんアーティストが出演して一見豪華だが、実は自分が見たいアーティストは、そのうちひと組だけだったりする。第五に、割高。第六に、観客がうるさいので落ち着いて音楽に耳をすませられない。第七に、よく知らないけど、モッシュやら暴れる客もいる。第八に、ミュージシャンの交代時間待ちぼうけを食らう。第九に、観客が九割がた酔っ払い。第十に、入場まで待たせる。第十一、退場時にめっちゃ混む。

一方、ドームなどの大型コンサート。(ちなみに、僕がかつて経験したドームライブは、エルトンジョンの来日ライブと星野源さんのもののみである。主張と矛盾してしまいそうだが、このライブもまたまたよかった。星野さんのライブは、ほろりときた。)以下、ドームライブの欠点。第一に、意外と音が悪い。第二、生音じゃない。第三、よほどいい席じゃないと、出演者が米粒のようにしか見えない。第四、入場まで待たせる。第五、退場時にめっちゃ混む。第六、好きな席に座れない。第七、異様な雰囲気(その雰囲気が逆にいいって言う人もいる)。第八、割高。

もちろん、フェスにも、ドームライブにも良い点はある。例えば、ドームライブの場合、多額の資金が動く分、演出が豪華だったり、来日ライブでは、滅多にお目にかかれないミュージシャンの演奏を聴けたりする。

でも、僕が言いたいのは、フェスやドームライブが音楽の全てではないだろう。路上ライブだって、民家を利用したインディーズのライブだってある。しかも、そうしたこじんまりしたライブでは、マイクロフォンを使用せず生歌がきける場合もある。(なぜか、この頃の路上ライブは、スピーカーを使用してて、好きじゃない。マイクを通すと、やっぱり偽物っぽい感じになる。)けど、ラジオでは、フェスやドームライブこそ王道と安直に主張している。

まあ、人の価値観は人それぞれ、だとは思う。

けど、僕は、こうしたコマーシャルラジオを聴くと疲れるし、嘘を全身に浴びたような気分になるのである。

書き忘れたが、ラジオDJたちが、受験競争を煽るのも、なんだか、腹がたつ。受験勉強のおとも=ラジオってバカじゃないのか、と思う。試験シーズンのたびに、さくら咲く系の演出に走るラジオって格好悪いと思う。迎合的だし、大学合格がそんなにエライのか?と疑惑に思うよ。

ラジオDJに人生相談を持ちかけるリスナーも、ちょっとバカだよ。自分の人生は、基本的に、自分自身で舵取りを行うものだし、もし、何か心情を吐露したい時があっても、ラジオDJはその候補にならない。友達とか、師匠とか、おばあちゃんとか、ぬいぐるみとか、飼い犬とか、近所に巣食うカラスとか、本棚に並んだHUNTER×HUNTERとか、中原中也の詩集だとかに、心情を吐露する方がいいよ。

仮に、「受験合格できるか不安なんです」とDjに受験勉強つらいアピールをしてみよう。すると、おそらく、DJはスルーするか「為せば成る」系の言葉で返してくるのである。案に、「受験勉強」をやって当然のことと強要してくるだけである。「別に、大学なんて行くも行かないも自由、ゆえに、受験勉強も、やりたくないなら、やめて、何か自分のやりたいことに時間を使おう」といった視点を変えるための発言て多分ない。DJたちによる人生の相談の回答ってほぼ百パー現状と常識の肯定です。(僕が、これまで聞いてきた範囲だと。深夜ラジオとか、ネットラジオとか、個人配信のラジオとかは話が別だけれど。)それでいいのかなあ、と思う。相談者が却って自縄自縛に陥らないだろうか。

「会社がつらいんです」には、「つらいときもあるよ。わかるわかる。けど、出勤しろ」そう言う回答である。

まあ、相談を持ちかける方が、バカだとは思う。

なにはともあれ、僕は、いわゆる一般的な、朝から夜の九時くらいかけてのFMラジオが嫌いである。

理由は、嘘つきのPOPミュージックばかり流すから。と、DJの喋りがもろセールスマンの喋りに聞こえるから。

感性は、人それぞれ。僕は、そう言う風に感じ、だから、もう、ラジオは聞かないでおこうって決めた。それだけのこと。

ラジオが好きな人は、現にたくさんいるし、それはそれでいいって、思っている。

(学生時代、ノイタミナラジオが好きだったナー)