こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

高校について(今のところの私見)

結論として、高校は行かなくていいだろう、と思う。

 

理由、大学受験に必要な、高校卒業資格は、「高校卒業程度資格認定試験」で取得可能だから。

しかも、この試験、(うろ覚えなのだが)二、三日の日程の試験に合格すれば取得可能である。

一ヶ月も勉強すれば、余裕で、卒業資格が手に入るのである。なぜ、三年間も、ストレスフルな高校生活を送る必要がある?

 

もちろん、高校に通うメリットもある。

・理科学の実験へのハードルが低くなる。

自前で器具を揃えてもいいのだが、やはり、学校の設備を利用したほうが楽だろうから。

・多数の同年齢の友達を作るチャンスが生まれる。

確かに、一学年何百人といて、しかも、同じクラスにも三、四十人いるのだ。

 

けど、まあ、その程度、じゃないだろうか、しかも、これら二点は、以下のような指摘が可能だ。

 

仮に、学校に行かなければ、理科学の実験が行えない、のだとしたら、それは社会が悪いのではないか?

学校に行かずとも、市民が理科学に触れ合える場所(例えば科学博物館とか、大学の市民講座とか)は社会が提供すべきものだ。まず、学校に行かなくても、バンバン教養が身につく社会こそ理想なんだってことを、念頭に置きたい。

 

次に、

果たして、同年齢若年層とばかり、友好関係を結ぶことが、果たして人生を豊かにするんだろうか?

年齢関係なく、様々な人と関わったり、仲良くなれた方が、いろんな発見があると思う。

そのために、一番手っ取り早いのは、学校以外の場所で、何かを、習うこと、だと思う。

具体例を交えていえば、例えば、学校へ行く代わりに空手道場に通ったとする。すると、その道場では(もしかしたら、年齢別に別れて練習している場合もあるかもしれないけれど)、自分より年下の中学生もいれば、大人になって空手をはじめた中年のおじさんもいる。子供の頃からずっと空手を続けてきた、七十歳くらいのおじいさんだっているかもしれない。

想像してみてほしい。高校の空手部と、町の空手道場、どちらが、人種的にカオスかって。

高校の華道部と、よく知らないけど、なんとか流の華道教室、どちらに多様な人々が集まるだろう、って。

高校の部活動は、基本的に、高校生と顧問の先生くらいしか集まらない。(と思われる。と言うのも、僕は高校に通っていないので、その実態は知らないのだ。)

もちろん、以上の点は中学校、小学校の部活動に対しても言えること。

 

もちろん、町の空手道場や、なんとか流の華道教室にしたところで、通ってくる人には何かしらかの傾向がある。だから、一つの学びの場にだけこだわると、心理的盲点が生まれるだろう。だから、いろんな場所で学びたい、な、と僕は思う。だから、実をいうと、学校という学びの場も結構好きだったりする。けど、週五日間も通うのは、ないだろう、と思う。学校なんて、週二日、しかも一日四時間くらい通えば十分だろう。

 

僕は、思うんだけれど、大学への推薦入学が、高校からの推薦以外受け付けないってのは、変だなあ、とおもう。

例えば、町の空手道場の師範が、「こいつは、ほんと人間の肉体について興味あるから、医学部行ったらいいんじゃないかなあ」と言えば、医学部への推薦が決まったりとか、まるまる流の華道の師範が、「こいつセンスいいから、おたくの美術科に入れるといいよ」と言って、美大への入学が決まったりとか、そういう道があってもいいんじゃないかなあ、と思う。

もちろん、その推薦を受け入れるか否かは、大学側が決めるとして。

どうして、子供達の将来への強い権限が、学校にだけ、依存しているのだ。もっと、いろんな道に別れていてもいいんじゃないのか。と、素朴に思う。