こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

小学校、中学校について(実体験を交えながら、現時点での私見)

結論、中学も小学校も基本的にいかなくていい。

 

理由、日本という国では、仮に小学校に二年、中学校に半年くらいしか登校しなくても、自動的に、卒業資格を授与してくれるから(僕の実体験である。不登校だったんですね。)

 

高校編でもちょろっと書いたんだけれど、僕は疑問に思っている。どうして、学校は、週五日間いかなくちゃならないのか?

給食の関係?まあ、来たり来なかったりだったら、食材が余るからね。でも、そのくらい、いくらでも調整可能だろう。他の同級生に食べてもらうとか。給食だけ、食べに来るとか。

 

登校日数は、生徒が各自、自由に決めていい、と思うのだ。そして、その方が、生徒の自主性とか、思考力とかが育まれるんじゃないかなあ、と。

 

僕の素朴の考えは、以下のようなもの。

「教師が指導的立場をとっていいのは、ひらがなとカタカナの学習まで。

何故ならば、ひらがなとカタカナさえ覚えれば、子供立ちは、(その気になれば)独学で、世界最高峰レベルの学術まで学んでいけるはずだから。」

 

もちろん、何かしらかのフォローは必要だと思う。

子供達が化学実験に取り組む際は、そばで見守ってあげるとか。

 

絵本やその他の本を朗読してあげるとか。

 

僕は、体育って授業の必要性がよくわからない。

何故、鉄棒なんだろう。近所の裏山を駆けずり回るんじゃダメだろうか。

体育の授業って、割合、待ち時間が多い。何しろ、30人の生徒に対して、鉄棒は五、六個歯科ないのだ。

30人の生徒に対して、サッカーボールは一個しかないのだ。

僕は、サッカーの授業中、ボールを待つのが面倒になって、寝そべっていたら、怒られた経験がある。何故だ。

 

そう言えば、ちょっと、自慢なんだけれど、僕は、小学一年生か二年生の頃(最初のうちは登校していたのだ)、体育館をジャックしたことがある。一人で。授業が、つまらなかったか、何か腹が立つことがあって、教室を一人抜け出し、体育館で遊ぼう、と決めたのだ。邪魔されるのが嫌だったから、体育で使うマットレスを重石にして、体育館の扉を封印した。しばらく、体育館で暴れまわったのだが、飽きてしまい(悲しくもなった)、そのまま放置して、一人で家に帰ることにした。

よく覚えていないが、それに前後して、小学校へはいかなくなった。

あの時、体育館の外で、僕を見守ってくれていた、(名前忘れちゃったけど)男の先生に、感謝を。

 

遅刻したら、怒られるってのも、変だ。

あと、日本って、遅刻すると「重役出勤」などとからかってくるのだけれど、いまいち、理解できない。

「重役出勤、それって褒め言葉?貶し言葉?」仮に、褒めているとして、何を?仮に貶しているとして何処を?

 

登下校中、疲れて昼寝していただけの子が、同級生にいじめられている場面に出くわして、悲しくなったこともある。

 

そう言えば、自慢、二つ目。

僕が小学一年生だった頃、近所にくらす小学五年生だか六年生だかの男のことが下校中の帰り道で、蛇を見つけていじめ殺そうとしていた。その場には、その男の子の取り巻きが、何人かいた。僕は、蛇をいじめたくなかったのだが、一年生だったし、色々怖かった。怖かったから、その男の子を思いき突き飛ばして、その場を急いで逃げた。

我ながら、すごいなあ、と思う。小学一年生と小学五年生って体格的に二倍くらいあるのだ。

ちなみに、その蛇がどうなったか、とか、僕の行動が理解されたか、は記憶にない。

突き飛ばした際、怪我とかなく良かった。

 

不登校が、何故問題になるか?

考えたことがありますか?

それは、社会的に、子供たちの居場所が用意されていないからです。

子供達は、平日昼間は学校へ行くもの、という固い、根拠のない思い込みがこの社会をスモッグのように包み込んでいるからです。

だから、不登校になると、子供達は、引きこもりがちになる。

でも、冷静に考えてみれば、子供が、平日昼間に、その辺の公園で遊んでいても、一切、問題はないわけです。もちろん、治安上の問題はあります。不審者対策はした方がいい。けど、それだって、近所の方々や警察官が見回りを強化するなりすればいいだけでしょう。

何故、子供達が、学校以外の場所、例えば、空手道場とか自然公園とか、科学博物館とか、図書館とかに平日昼間、いちゃいけないのか。そんなわけない。いても、いい。もちろん、原子力発電所内へ、ポケモンGO片手に侵入とかは、ナシです。でも、もし、子供達が、学校の代わりに図書館へ行ったとして、どんな問題がありますか?図書館には、通常、子供達に害をなす不審者っていないはずです。司書さんもいるし、安全でしょう。

そういう、安全な場所なら、学校にこだわらず、どんどん、子供を溢れさせればいいんじゃないかなあ、と僕は思う。

不謹慎な例かもしれないけれど、子供を一種の紙幣とみなしてみると、面白いかもしれない。子供という紙幣を、学校以外の様々な場所に循環させるわけである。

例えば、

図書館、

武術道場、

道教

お琴の教室

絵画教室、

高校、

大学、

幼稚園、

中学校、

小学校、

公民館、

市民プール、

市民体育館、

市民体育館内のトレーニングルーム、

コンビニ、

ビール工場、

養豚場、

畑、

田んぼ、

スーパー、

文房具屋さん、

消防署、

警察署、

裏山、

いろんな場所があるんじゃないかなあ、と思う。

不登校は、子供達の決断だが、引きこもりは、社会のせいだ、と僕は決めつけたい。

 

実は、僕が不登校だった頃も、

午後三時までずっと自宅に引きこもって、午後三時になると、近所の裏山や近所の川辺で遊びまくっていた。何故、午後三時を境にするか、というと、学校がだいたいそのくらいの時間までやっていたからってのと、当時一緒に遊んでいた男の子がそのくらいの時間に学校から家に帰ってくるから。

めちゃくちゃ遊んだ。近所の川で泳ぎまくった。遅くなるまで、裏山で語り合った。

けど、よくよく考えてみると、そんな近所の山や川で遊びたかったのなら、午後三時まで待たずに、一日中遊んでいたら、良かったのである。

 

ちなみに、そうすると、学力がどうなる?って点を心配される方がいると思う。

けど、小学校や中学校の勉強って、実は、結構簡単なのである。

僕は、小学二年生の後半で学校をやめて、小学六年生の頃に復学したんだけれど、半年くらいでみんなに追いついた。(算数が好きだったってのもあるんだけれど)

中学もそうで、僕は、初めの一学期しかいかなかったんだけれど、中学三年生の夏休みくらいから本腰を入れたら、夏休みを終わるくらいには、だいたいできていた。偏差値にこだわりは持ちたくないのだけれど、一、二ヶ月集中してやれば、偏差値40から偏差値65くらいまで行くのである。(こんな簡単に変わる、故に、偏差値なんてクソみたいなもんだ、と思う。)

まあ、半分自慢なんだけれど、残り半分は、学校での勉強って結構不効率にやっているって指摘だ。やりたくない時にやりたくない勉強をさせるから、効率が悪くなる。二、三年一切学校の勉強をやらないでいると、ふっと「そろそろ学校の勉強もやっとこうなあ」って気持ちになることがある(場合もある)のだ。で、そういう興味が湧いてきたときに、一気にやれば、三年分の勉強が、一、二ヶ月で完了したりするのだ。

そう言えば、宿題をやった記憶がない。

(一応、念のため書いておくが、僕は、そんなに学力のある人間ではない。というのも、集中してやっても、そのあと、飽きてやらなくなるからだ。学力って尺度も微妙だけれど、少なくとも、学力って尺度で見た場合、僕は路傍の石頃である。)

 

色々、自意識がダダ漏れだけれど、僕が小学校、中学校教育について考えていることの大筋は、以上の通りです。