こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

時間の定時制について(時間を時間的に定まったものだ、と捉えるのは、なんというか曖昧)

サラリーマンは通常、出社時間だったり、退社時間だったりが定まっている。(朝)残業などもあるだろうけれど、一般的に、朝八時~夕方五時みたいな感じで、勤務時間が定常である。

でも、考えてみると、果たして、この勤務時間が定時制なのって、人間らしい生活なのだろうか?

例えばの話(以下の説明は、あくまで僕の印象論であり、科学的な根拠はない。でも、統計的に調査すれば僕の主張はそこそこ根拠づけられるとは思う。誰かやってくれないだろうか。)、万人に通用する傾向ではないと思うのだが、僕たちは、夏場早起きになり、冬場遅起きになる傾向がある。なぜかっていうと、太陽が登る時間が夏と冬とで違うからだ。それに、寒暖差もある。夏場は、夜や朝の方が涼しいから、朝方精神的に充実している場合が多い。また、冬場は、寒いから、布団から出たくないってケースも多い。

何が言いたいのか、というと、季節の変動により、起床時間が異なるのに、会社や学校だけ、杓子定規みたいな、出社登校時間で、本当にいいの?という疑義です。それこそ、起床時間ってみんなそれぞれ違う。だから、もし、みんなで同じ場所を共有するなら、ある程度待ち合わせ時間というか、いついつまでに集合みたいな、決まりごとは必要だと思う。けど、その決まり事、守りやすく工夫されているだろうか?

例えば、夏場は七時出勤、春と秋とは八時出勤、冬は九時出勤、そういう仕組みの可能性はないかな、と思うんです。効率が上がる可能性だってあるだろう。

また、一方で、退社下校時間も、同様に、季節と変動させてもいいかもしれない。もちろん、そうなると、どうしても、夏場が長時間労働になってしまうから、その辺は配慮しなくちゃだけど。(人間そんな働く必要ない、と僕は思うから。理由としては、いずれ詳述したいと思うが、この社会には、無駄な仕事が山のようにあるからだ。なぜ、無駄な仕事を無駄と分かりながら、続行するのか?それは、社会が正常に運行していないからだ。無駄な仕事を減らし、みんなで必要な仕事だけ分担しあったら、おそらく、一日二、三時間の労働で暮らしていける。それを実現しようとして失敗したのが、社会主義なんだぜ、と言われるかもしれないけれど、社会主義とは別の方向で、資本主義を活用しつつ、そういう社会を目指さなくちゃ、なんのために、この社会に属し、なんのために思考して、生活して、学んでいるのか、わからない。理性とは、可能性の別言だと思う。理性的に考えて、もっと良い社会の形が思い描けるなら、その社会を実現しうるってことだと思うのだ。)

この社会は、固定的である。制服、所作、言葉遣い、マニュアル、人間関係、家族関係。流動性を増せば、それでいいのか、というとそういうわけではない、とは思う。ただ、みんな一緒という発想が奇妙だ。それこそ、毎日定時出勤の会社があっていいけど、その一方で、出社時間が変動時間制の会社だってあってもいいだろう。特に、学校がすごい。公私問わず、もう百パーセント近くが、定時制の登校時間だろう。

時間概念に、「リズム」という性質を付加して理解した方がいいんじゃないかな、って思う。夏から冬にかけての日照時間の変化もリズム、だろう。現代物理学で、光が、粒子にして波として捉えられているように、時間も「一定に流れる」という性質と「リズミカルに流れる」って性質を併せ持つ概念なのだ、って捉えたら、どうだろう。もちろん、時間概念には、他にも、様々な性質がある。大森荘蔵さんの著作に「時は流れず」なんてタイトルもあるし。時間概念って、様々な属性を同時に認めないと、受け入れがたい、奇妙奇天烈な概念なのかもしれない。