こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

バナナからの連想 ファーストフード原始社会論

先ほど、朝ごはんにバナナを食べていて、ふっと、思考が原始時代へ飛んだ。原始時代も含めて今とは違う時代へ思いを馳せると、普段考えもつかないような、はっとする発想を得ることがある。SFの原動力ってここにあるのだろう。

さておき、先ほど、ふっと思ったのだが、「ファーストフードって原始社会への回帰なんじゃなかろうか」ってことを思った。根拠はなく、想像なのだが、おそらく、原始社会って、食材を見つけたその場でささっと食べてしまったはずである。ライオンとかチーターとかの捕食を想像してみたらいいと思う。狩をする、捕まえる、みんなを呼ぶ、さっさと食べる、である。で、ここで現代用語との接合、原始時代の食事っていまでいう、「ファーストフード」だよなあ、と。果物のなっている木を発見する、みんなを呼ぶ、その場で手当たり次第に食べる。「ファーストフード」である。

僕たちは、ハンバーガーショップや牛丼屋さんを始め「ファーストフード店」って、コンビニと同様、現代的な店舗経営で、それこそ、映画「スーパーサイズミー」みたく、生活習慣病の源、「ファーストフードって、安くて早くて美味しいけど、実は体に悪そう」ってイメージがあると思うけれど、少なくとも、その場で手に入れた食料を、その場でガツガツと食べるという食事スタイルは、原始生活から脈々と受け継いできたものなんじゃないかな、って思ったのだ。

逆に、僕たちが思わず、「ファーストフード」を求めてしまうのは、原始生活時代に培った本能からの欲望である可能性がある。

ただ、そうなると、どうして「ファーストフード」的でない料理法(例えば、フレンチとか料亭のコースメニューを想定)が生まれたのかが疑問である。なぜ、調理者が料理を完成するまで、待っているのだろう。いや、待っててもいいんだけど、なぜ。あるいは、映画館なんかで、二時間の映画を見ながら同時にポップコーンを食べるのはなぜだろう。どういう変化というか進化をとげて、そのような食事スタイルも並存するようになったのだろう。おそらく、農耕牧畜を生活に取り入れたこととかかわってくるのだろうけど、具体的に、どう言った論理で?

まあ、続きはまたいつか考えよう。