こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

お金じゃないお金(メモ書き)

以下、お金に関するメモ書き(ちょっと、まとまらなかった)

 

僕たちは、本当に、お金を使っているのかな?と昨晩思った。アイデアメモに残っている。

その時、想像していたものは、スタンプカード。回数券。例えば、事前にまとめてお金を払い、一回使用ごとにスタンプを押されるスタンプカード。全ての欄にスタンプが押されたら使用済み。そういう仕組みのカード。

他にも例を出せば、遊園地の年間パスポート。電車の定期券。クオカード。など。僕たちが、遊園地への入場時、年間パスポートを提示したとする。その場合、僕たちは、お金を使用していることになるのだろうか。もちろん、年間パスポートの入手時には、規定の料金を支払っているとする。

ここで、僕が指摘したいのは、僕たちは、僕たちが思っているほど、日常的にお金を使用していなさそうだ、ということ。お金というのは、異なる人々が、スムーズに価値の交換を行うためにある。例えば、Aさんが魚を持っていて、Bさんがお米を持っていたとする。時に、魚とお米とでは、価値が釣り合わないこともある。その場合、Bさんはお米を一旦換金して、その換金したお金でAさんから魚を買えばいい、それがお金というシステムだと思う。ここでお金が登場するのは、お金が介在した方が物々交換よりスムーズに価値の交換が行われるから。

でも、現状は、実は、お金よりも、もっと便利な道具が満ち溢れている。さっき例にあげた、定期券とか回数券とか年間パスポートとか。これらも、お金の一種として捉えることはできる。けど、その場合、便利道具=お金類、ということになる。すると、例えば、海外旅行時に必要な便利道具である、パスポートもお金類に含まれたりしないだろうか。どこからがお金で、どこからがお金じゃないのかわからなくなる。

例えば、射的で景品を手に入れる場合。射的代を支払ったお金と交換に景品が手に入るのか。それとも、射的で見事命中させた射撃パフォーマンスとの交換として景品が手に入るのか。何かを、手に入れる場合、お金との交換故とは厳密に言えない。(当たり前のことだけど。例えば、会社経営とかでも。)

実は、何かを手に入れる場合、お金を支払うって行為よりも、より重要な行為が存在しているんだろう。その一方で、例えば自動販売機のような、お金さえ投入したら決まった品物が与えられるって仕組みもある。資本主義的な売買行為によって、何かを手に入れる際、お金だけじゃなく、お金+αが必要で、で、その+α分の比重の違いで、社会的な重要度も変わってくる?

αの部分を単純に仕事、と捉えていいのだろうか。

当たり前のことを当たり前に考えているから、煮詰まっているのかもしれない。まとまらなかったけど、これで終わり。また、いずれ思い出したように考えよう。