こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

日記

昨日は暑かったな、と思う。夜間十二時くらい目が覚めて、蒸し暑くて、エアコンを使ったくらい。文明の利器っていざとなったら、頼れるから便利だ。

ふっと、昨日の日記でも書こうかなと思って、ワードソフトを開いたのだが、記憶は残っているのだが、記憶に臨場感を感じない状態。昨日は、昨日で、いろいろな発見や感情の波があったはずなんだけれど、それは「もう過ぎ去ったこと」ってイメージ。

昨日から、ぼんやりと考えているのだけれど、僕は、「万物学者」あるいは、「万能学者」になりたいようだ。イメージはアリストテレスとかポアンカレとか。僕は、とある大学の文学部哲学科に在籍していた経験があるのだが、哲学に気を惹かれる人たちの何パーセント化は、そうした「この世の事象全てを自分の頭で考えたい、研究したい」って願望があるように思う。が、大学での哲学にはそのような雰囲気がなく、ちょっと肩透かしを食らう、ってのが良くあるパターンだろう、とも。ありとあらゆる事柄を研究しようと思えば、より普遍的な概念に上り詰めて行くのが手っ取り早いのだろうか(仏教で言うところの空とか、道教で言う所の無や混沌とか。)ただ、イメージとしては、自分が経験すること全てを手当たり次第に概念化して、これまでとは違う視点で整理して行くって感じなのだが。

昨日、パン屋を二軒回った。夕飯をパンにしようと思ったのだが、一軒めに入ったところが食パン専門のお店で、おかずパンも欲しいな、と思って二軒めへ。ただ、めぼしいおかずパンが見つからなかったので、もういっそのこと食べたいものを食べたいだけ、ってことにして、クリームドーナツやらチョコホイップパンやら名前は忘れたのだが、チーズ系のクリームを挟んだパンを購入した。たまに、あるのだが、精神面が不安定だったのか、定員さんのやりとりにへこむ。なんとなく、攻撃的な雰囲気を感じ取ってしまったのだ。パンを買うのでも、気持ちよく買いたい。

ちなみに、その際、なぜ店員さんが攻撃的な雰囲気(要は、ちょっとイラついていた)だったかというと、おそらく、資本主義と関係がある。おそらく、時給のことを考えて、なんでこんな金のために、こんな作業しているのだろう、という発想があるのだろう。その気持ちには共感する。ただ、パン屋の店員って、本来は、結構楽しい仕事だろう、とも思う。金銭的価値観を抜け出せたら、楽しめるだろう、とも。でも、その金銭的価値観を抜け出す方法ってなんだ?一昔前話題になった、ワタミ的な社員教育か?それは、嫌だ。あり得ない。まあ、こんな愚痴っぽい話題は終わろう。

そういえば、昨晩、帰りしな、普段は降りない駅で降りてみた。その分、歩く時間が増えたのあが、面白い民家を発見する。具体的には書かないが、趣味の家って感じの家なのだ。家に名前がつけてあって、その名前がでかでかと書かれていた。住人の名前より目立っていた。民家からは、法螺貝の生演奏が。練習中のようだった。なんだこの家は。すげえ。思わず「かっこいい」と独り言。実は、何度も通ったことのある道なのだが、昨日初めて発見した。はじめは、ちらっと目に入った庭先が、普通じゃない感じがして、で、よくよく眺めていると、家自体もちょっと普通じゃない。こだわりを感じられるのだ。

本屋にて、確か野口廣さんという方だったの思うのだが、その方の書かれた「エキゾチックな球体」という本を手に取る。購入はしなかったのだが、対話形式で、のめり込めそうな数学書であった。現在、遠山啓さんの「現代数学入門」を読んでいるのだが、これまたわかりやすくて面白い。「現代数学入門」の次に読みたい数学書が発見できてよかった。七十年代、日本では優れた数学入門書が多数出版されていたようだ。その際、他の数学系の本も手に取るのだが、著者の写真が皆やさしそうで、びっくりした。一流の数学者であり、しかも一般向けに入門書を書くような方だから、優しい方ばかりで当然なのだが、それにしても。数学という学問に、優しさを醸成する性質があるのだろうか。

そのほか、友人に今度一緒に遊びにいかないか、って誘いをかけ、予定を調整したり、体動かしたり、あれこれ考えたり、雲の形に感動したりした。

昨晩、寝る前に、久しぶりに、ユーチューブにて、忌野清志郎さんの動画を見た。タイマーズの動画。今も、頭の中で流れている。やっぱり、忌野清志郎さんは好きだ。でも、忌野清志郎さんのようなショースタイルのやり方では、社会は根本的には変わらなかったとも感じる。何かもっといい方法がないものかなあ、と思う。あと、キャンディーズの「夏が来た!」を聴く。そういえば、明日から(今日から)七月だ。