倍率の幻想性について(後半話逸れる)

倍率って幻想だって、ことを書きたいな、と思う。

倍率って幻想だ。まあ、この一言が、結論なわけで、一行目を読んで、だいたい内容の掴めた人は、後の文章は読まなくてもいいかもしれない。

僕たちは、高校受験とか、大学受験とか、就職試験とかで、倍率を気にするように、経験づけられている。倍率四倍の高校入試、ちょっと手強そうだ。そこそこ偏差値高いのかな、とか思ってしまう。試験中も、この教室で受験している人の四人に三人は落第するのだよなあ、と思うとちょっと怖くなったり、逆に、合格確実の学力であれば、自分が他人より優れている気持ちになって、ちょっと天狗になってしまったり。

一度、びっくりしてしまったことがあって、それはキー局アナウンサーの倍率。正確な数字って忘れちゃったんだけれど、千人以上受験して、最終面接に残ったのが四人、で、そこから二人が絞られた、なんて聞いたことがある。NHKとか、昔から就職人気ランキングでトップクラスで、友人から、書類審査通ったって時「おお、すげえ」と思ったものだ。

何が言いたいのかというと、僕たちは、倍率が高い競争=その競争で勝ち抜いたやつはすげえ、って考えがちである。でも、それは、おそらく思い込みであろう。

以下、簡単な具体例で、批判できる。

宝くじ、一等前後賞を獲得したやつって、すごいの?

もしかしたら、その当選した人は、めちゃくちゃ賢い人で、話も面白くて、素晴らしい人かもしれない。あるいは、めちゃくちゃ心が優しくて、捨て犬を五十匹くらい引き取っているかもしれない。けど、その人の素晴らしさと、宝くじに当たる当たらないは無関係だ。当たり前だけれど。で、宝くじに当選する倍率って、おそらく、アナウンサーの就職試験で勝ち抜く場合より、まあ、十倍は高いだろう。

倍率って、たかだかその程度のものなのだ。

宝くじ当選とアナウンサー採用とでは、話が違う、アナウンサー採用の場合、本人の能力が試されるのだ、って意見もあると思う。実際、アナウンサーに採用される人は、何がしかの点で、採用担当の目を引いたのだろう。

でも、少なくとも、僕は、別に、アナウンサーなどなりたくない。そもそも、アナウンサーという仕事自体興味がない。一概には言えないとは思うのだけれど、子供の頃テレビを眺めていた印象では、結局、アナウンサーって決められた原稿を決められた通りに読むか、周りから期待されていることを周りの期待通り達成するか、この二通りの仕事しかしていないように思う(ただ、ノイタミナラジオは好きだった。)。どうして、そんな仕事に魅力を感じるのか、僕にはよくわからないのだ。まあ、アナウンサーにも裏方の仕事があるわけで、そこではとんでもない創造性を発揮している可能性もあるけれど。

ちょっと脇道に逸れるんだけれど、僕は、中学の頃、最初の一学期で学校へ行くのをやめた。まあ、色々理由はあるのだけれど、根本的な理由は、「俺より頭のいい先生がいなかった」からだと思う(例外的に、素敵な先生が一人いて、その先生の授業は受けとけばよかったかなあ、と後悔しているけど。)。授業がつまらなかったのだ。同級生に面白いやつも居たんだけれど、学校って狭苦しいスペースに五六百人も人間を詰め込むと、なかなか個人個人の密なコミュニケーションって取りにくい。面白い奴とか変わるためには、せいぜい、ワンフロア十人程度に抑えないといけない。理想は、一対一で、まったり会話をかわすことだと思う。(そういう場を作りたい。公共の場として。)

で、テレビの放送やアナウンサーによるニュース番組などにも、同様の判断が可能なんじゃないかなあ、と僕は思っている。「自分より頭の悪いやつに、ニュースを聞く必要はないよ」ちょっと、傲慢な表現かもしれないけれど。でも、自尊心があるって、そういう心理状況のことをいうのではなかろうか。

テレビに夢中になっている人、アナウンサーはすごい人って素朴に考えている人は、もしかしたら、過去に何処かで自尊心を傷つけられたんじゃないかな、と思う。僕のアパートの隣人は大学生なのだけれど、その子は、毎朝のようにテレビニュースを聞いている。どう考えたって、大学で今、いろんなことを学んでいる彼女の方が、そこらへんのニュースキャスターより、頭がいいはずだ。なのに、なんで、、と僕は、時折思う。

冷静に考えてみて、僕の身近な人たちは、みんな素晴らしく、ゆえに、テレビのニュースなんて、見ても、見なくてもいい。こういう思考実験をしてみるといい。あなたの友人Aとよくテレビで見かけるアナウンサーB、このAB両人のいいところを思いつく限りあげてみる。で、比較してみる。その上で、どちらの話をより多く聞きたいか、と考えてみる。この思考実験は、様々な人を対象に行える。例えば、母親と政治家C芥川龍之介とフィンセントファンゴッホ。まあ、色々。

確かに、反面教師って言葉もある。「自分より馬鹿だから話を聞かないという発想は頭が固いのではないか」という意見。また、自分より劣っていると感じていた他者から学びを得ることだってたくさんある。ゆえに、人間には優劣があるって発想そのものが思い込みにすぎない。でも、だとしても、それゆえに、高い倍率を勝ち抜いてきたやつがすごいという発想もおかしいことになる。

こないだのゴールデンウィーク久しぶりに実家に帰って見たテレビの中で、アナウンサーに出会ったというただそれだけのことで狂喜乱舞する視聴者の姿があった。でも、冷静に考えてみて、そんな踊り狂うほど喜ぶことなのかなあ、と思う。例えば、その人がかつて白血病で、そのアナウンサーから骨髄移植を受けたから生き延びた、とかそういう経緯があるなら別だけれど、ただ一期一会の出会いなのに。