こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

コネについての、所感

実は僕は、先日仕事を辞めた。仕事の辞め方としては、汚い方で、自分でもよくわからないのだが、ふっと耐えきれなくなり(要は、知らず識らずのうちに我慢していたわけだ。その職場には、好きな人がいる一方、嫌いな人もいた。)、次の日に辞めていた。三ヶ月ほど前から、十月になったら辞めますよ、とは伝えていた経緯があるため、完全に、いきなり、ってわけではないのだが、僕自身、その時辞めると思っていたタイミングで、何かに突き動かされるように、仕事へ行く気が無くなってしまった。思い返してみると、学校へ行かなくなったときと感覚は似ていた。

で、そんなこんながあって、僕は、一ヶ月ほどのんびり過ごし、そろそろ新しい仕事を始めようとしている。最長一年と自分の中で決めているのだが、次の仕事への手続きは終わっている。

で、仕事を辞めて気がついたこと。あるいは、経験したこと、なのだが、仕事を辞めた途端、いろんな人から仕事を紹介されるようになった。正確には、仕事を辞める一週間前なのだが、実はまだ五、六回しかあったことのない、趣味関係の知人から、「それなりに英語ができるなら、英文作成の仕事してみない」と誘われたり、つい最近は、まだ二回したあったことのない職業斡旋所のおじさんに、「将来、うちで働いてもいいよ」と言ってもらったり。元同僚の友達に、以前の仕事と同じ職種の職場を教えてもらったり。まあ、思い返してみると、三回だけなのだが、その一方で、僕は、これまでの人生で一番仕事を紹介してもらっている。

もちろん、みんな、僕のことを心配してくれていて、だから、色々声をかけてくれるのかな、とも思う。だとしたら、心配してもらってありがたいなあ、と思う。ただ、その反面、仕事を辞めた途端、仕事を紹介されるって、世の中うまいことできているなあ、とも感じる。仕事というのは、僕が思っていた以上に、その辺に、ごろごろと転がっているのだな、とも。仕事を辞めても、なんとでもなる、みたいな楽観が生まれる。まあ、どうせなんとかなるだろう、と端から思っていたから仕事を辞めたわけだが。

人間関係っていうのは、案外簡単に生まれてしまうのだな、とも思う。以前、コネ入社などと聞くと、なんだか、ずるそうで嫌な感じ、がしていたのだが、こうして仕事を紹介されると、コネって案外社会を回す上で重要だし、また、コネだからと言ってフェアじゃない、とも限らないようだ。仕事を紹介されたのは、一つのは、これまでの人間関係が良好だったから、もう一つには、新しく人と知り合い、そこで自分なりの誠実さで接したから、だと思っている。子供の頃、コネっていうのは、親のコネだったり親戚のコネだったり学校のコネ(つまり推薦入試など)と、要は自分とは無関係なところで発生するものだと思っていた。だから、コネのある人に対して、ずるい、と思っていた。僕は、高校へ行かなかったから、大学へ推薦入学した人などに対して、ずるいなあ、と感じていた。正直、推薦入学の形に対しては、改良の余地があると思っているのだが、こうしたコネって別にズルでもなんでもないんじゃないか、というのが、ここしばらくの経験から得た感想。

何故ならば、コネは、自然発生するものであり、ならば、当然自分自身で作って行くこともできるからだ。コネの話ばかりして、なんだか、即物的で嫌な話題だなあ、とも思うのだけれど、コネがあるって要は、(ある程度)気に入られている状態、なのではないかと思う。気にかけられている状態、とも言えるかもしれない。簡単にいえば、好き嫌いの問題。学生が、大学へ推薦入学を決めるのは、彼が通っていた高校に気に入られたからだろうし、コネ入社にしたところで、入社先で人事権がある人に、親ないし本人が気に入られたからだろう。好き嫌いの問題なら、話は簡単になる。そもそも、コネってコネクションの略なのだろうから。

人々がそこそこ集まる場所へ行き、その場所で普通に過ごしていればいいんじゃないかな、と思う。ブッダのように悟りきった人ならともかく、大抵の人は、初対面の人に対して、好きか嫌いかどちらかの判定をする。仮に、好きになる確率と嫌いになる確率が半々五十%ずつだとしても、いろんな人に出会っていけば、勝手に、自分のことを好きな人が現れてくる。

コネ=好かれるということなら、こんな簡単な話もないわけで、親のコネとか学閥とか出身閥とか、あってもなくても、どうにでもなるものなのだろう。

まあ、以上の内容は、まだまだ経験の少ない現時点の僕の所感にすぎない。そのうち、意見が変わるだろうけど、昨夜、こんなことを考えていた。