料理について(あくまで個人の意見。男性一人暮らしに最適化した内容かもしれない)。

料理について書こうと思う。というのも、僕が考えて実際に行っている料理と、世間一般で信じられている料理像とが、大きく異なっているからだ。別に、どちらの考え方が正しい、という問題ではない。ただ、僕には僕なりの考えがあり、で、その考えに基づいて行われる料理方法はなかなかシンプルで気楽で、ありてい言っておすすめなのである。だから、書く。

(家庭)料理の要諦は、以下、三点である。1)体にいいこと。2)継続して実行可能であること。3)うまいこと。多分、この三点さえ満たせていれば、料理として満点なのでないか、と思う。美食家になりたい、とか、味覚を豊かにしたい、とか、これまで食べたことのない珍料理を食べたい、と言った気持ちがあるなら別だろうけど、うまくて体にいいものを毎日食べたい、という欲望を満たしたいから、人は料理を発明したのだろう、と思う。

1)体にいいこと。体にいい料理って何だろう、と考えてみる。この際、料理を以下のように分解して考えると分かり易い。料理=食材+調理。料理って、要は、食材を調理することである。食材がなければ、料理とは言えないし、調理方法がなくては料理とは言えない。食材と調理っていう二要素が組み合わさって料理なる概念がイメージされる。で、1)体にいいこと。体にいいい料理は基本的に食材によって決定されるのではないか、と思う。どんなに調理方法がすぐれていても、腐ったお肉で作った料理は、きっとお腹を壊したりと、体に負担をかける。一方、栄養に富んだ卵なら、卵焼きだろうが、目玉焼きだろうが、きっと栄養吸収上の差は少ない。生野菜を食べるのと天ぷら野菜を食べるのとでは、胃への負担が違うじゃないか、と意見もあるが、天ぷら時に使う油も食材と見なせば、やはり、食材の如何によって、体への負担感はだいたい決まる。もちろん、野菜類を熱しすぎたらビタミンが壊れてしまう、だから、極力加熱しない、と言った最低限の調理上の配慮もあるにはあるけれど、プロの料理人やこだわりのある主婦のような調理技法の修練は必要ないんじゃないかな、と思う。要は、栄養価の高い野菜、米、豆などのタンパク源を適当に混ぜて、適当に加熱すれば、体にいい料理の完成なのではあるまいか。

2)継続して実行可能であること。先の段落で先取りしてしまったのだけれど、毎日何食も食べる料理だからこそ、手軽に行えた方がいいのではないか、と思う。食材の入手方法もそれなりに手軽で、調理方法もそれなりに手軽。いっそ、毎回同じ調理方法でもいいのでは、と思う。具体的には、僕は、朝食は、ほぼ雑炊である。ご飯の中に、野菜やら卵やらを投入するあれ。実質、ご飯と一緒に他の食材を炊き込むだけなので、やることといえば、食材を用意して蒸すだけである。気楽なもの。毎食、主菜、副菜の三品が必要、というのは、ただの思い込みで、正直、僕にはその理由が理解できない。要は、しっかりとした栄養が取れればいいのである。なら、栄養満点の一品料理で十分じゃないか、と思うのである。で、その具体的な方法として、野菜具沢山の雑炊である。タンパク源としては、大豆や卵を入れればいい。主食、主菜、副菜にこだわるあまり、スーパーの惣菜コーナーからコロッケを買ってくるとか、却って栄養吸収の妨げになるんじゃないかなあ、と思う。一品料理だと、後片付けも楽でいいや、っていうズボラな心理も働いている。けど、ズボラさも、「いかに、よりズボラに振る舞えるか?」と研究するのは楽しい。ズボラさも、計画的に極めて行くことが可能だから。ズボラさや気楽さも一つの向上点になりうるわけだから。

3)うまいこと。実を言うと、さっきから述べている適当雑炊、なかなか美味しいのである。理由は、食材が新鮮で質がいいこと。また、最後の仕上げに味噌や焼き海苔などを投入しているから。好みによるのだろうが、味噌は味噌汁として飲むより、ご飯にべったりなすりつけて食べるのが美味しい。味噌汁を飲まない分、どこかで水分補給は必要だが、味噌ご飯は毎日食べても飽きない美味しさがある。化学調味料を使う前に、伝統的な調味料を試してみると、いいんじゃないかな、と思う。

まとめると、野菜をたっぷり入れた卵味噌雑炊はうまい、です。

しかも、そんなに費用はかからない(野菜類にこだわりだすと費用はかかるけど、こだわりたいならこだわればいいだけの話。)。ちなみに、ここで言う費用というのは、調理時間、食材費共に含みます。

 

以下、一般的に流布している節約料理への批判というか違和感の吐露。

 

テレビ番組や、カリスマ主婦本で、節約料理や創作料理が紹介されることがあるのだが、あれらは基本的に、まやかしだ、と思っている。

やや印象論になるのだが、あれらは基本的に、「本当は高級食材で高級料理を食べたいけれど、金がないから、仕方ない、プリンと醤油とご飯でウニ丼っぽい味を作ろう」みたいな発想だと感じる。例えば、豆腐ハンバーグ。豆腐ハンバーグは、肉が高いから、あるいは、肉ばかり食べていると栄養が偏るから、豆腐をハンバーグ状にしちゃえ、という発想である。でも、僕には、この発想違和感がある。豆腐なら豆腐で食えばいいだけじゃないか、と。そのほうが調理も楽だし、豆腐には豆腐のうまさがある。

なんというか、一般に、テレビや本で紹介されている料理って、「騙しのテクニック集」って感じがするのである。本当は、偽物だけれど、偽物をいかにして本物らしく見せるか、というテクニック。豆腐ハンバーグなら、どのようなソースを利用すれば、お肉っぽくなりますよ、みたいな。でも、それって騙しだ。で、誰を騙そうとしているのかといえば、基本的には、子供である(たまに、夫も)。家族を、騙さなくてもいいのになあ、と思う。

例えば、ロールキャベツ。ロールキャベツを、お肉をキャベツで巻くことで、お肉の量が増えたみたいな印象を与えますよ、と紹介する傾向がある。でも、それって、これまた騙しっぽい。ロールキャベツはロールキャベツで美味しいのだから、お肉を嵩増しする手段ではなく、一つの美味しいしかもバランスのとれた調理例として参考にすればいいだけなのに、どうして、騙しのテクニックとして活用したいのだろう。

例えば、コロッケなど、結構ヤバイのではないか、と思う。あれも、お肉っぽさを出そうとして、肉を少量混ぜたジャガイモに衣をつけて揚げる訳である。油物=体に悪い、と言い切れるか微妙だけれど、人によっては油物は避けたほうがいいのは事実だと思う。つまり、コロッケを食べないほうがいい人はいる。にもかかわらず、コロッケだと少ない肉でも、あたかもたくさんの肉を食べたような誤解を生むから、いいわ、などと言って、提供する。騙しのテクニックを披露するために、不健康になるかもしれない料理を提供する。なんじゃ、そりゃあ、と思ってしまう。

まあ、僕個人としては、母親の料理は全て好きで、例えば、コロッケだって好きだったりする。ただ、その一方で、騙しのテクニックとして創作料理をどんどん生み出していく世の中には、「変なのー」って白けた気持ちにさせられる。もしかしたら、こうした騙しのテクニックへの忌避感が強いのは、僕が男だからかもしれない。料理の現場における、まやかし、騙しって、例えば、顔の見た目を整える化粧と似ている。女性的な発想で、そんな女性的な発想からしたら、ごくごく当たり前のことなのかもしれない。

でも、以前、とあるカリスマ主婦の調理本を読んだ際、その中身が、以下に少量の肉を嵩増ししてみせるかであった点にびっくりしてしまった。しかも、その方法の大半が揚げ物であった。うーん、なんかずれてるなあ、と思った。

 

まあ、子供は揚げ物を美味しいと感じやすいみたいだし、子供が美味しいって感じることも料理の大事な要素だなあ、とおもう。僕が普段食べているものを子供達がうまいうまい、と言って食うかといえば、微妙であるから。

 

ちなみに、補足だけれど、

僕は、料理=食材+調理と捉えているため、加工食品を作ることも大事な料理だな、と思う。具体的には、大豆から納豆を作ったり、漬物を作ったり、梅干しを作ったり、味噌や醤油などを作ったり、そういう加工食品作りって、見落とされがちな料理だと思っています。