こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

学校について

学校を作りたい、と思っている。ただ、想像上の学校を、である。

我ながら、わけわかんねえなあ、と思う。

なんと言いますか、校舎があって、校庭があって、先生たちがいて、用務員の先生もいて、教頭がいて、校長がいて、生徒がいて、PTAがあって、保護者がいて、みたいな学校じゃない、学校を作りたいのである。だとすれば、想像上に、つまり、心の中に作ってみるのが一番手っ取り早いのではないかしら、と思ったのだ。

心の中に学校を作るってどういうことじゃ、と思われるかもしれない。けど、ちょっと視点を変えて、ちょっと冷静になって、僕たちの文化やら生活やらを振り返ってみると、実は、もうすでに、心の中の学校(学校以外にも色々あるんだけど)は存在している。

具体名を出そう。

暗殺教室

「さよなら、絶望先生

GTO

実は、GTOは、読んだことがないのだけれど、これら漫画は、学校をテーマにしたもので、共通しているのは、こんな学校(あるいは教師)いねえよ、という内容でありながら、でも、あったらいいよね、こんな学校(教師)って内容である。で、僕たちは、これら学園(?)漫画を読みながら(なぜ、学園漫画(?)と表記するかといえば、従来の学園漫画と比べ、ある種の理想の教師像の提示に軸足を置いている雰囲気があるから。制作意図とかは、わからないんだけど。)、想像の世界に、それぞれの学校を築き上げていくのである。というわけで、心の中に学校を作ることは可能なわけだ。

で、僕は、このような意味合いで、心の中に学校を作りまくれないかなあ、と思っている。もっといえば、フィクションという枠組みを超えて、心の中の学校を作りたい。現実に存在する学校、校舎や校庭のある学校と対等かそれ以上の存在として、心の中の学校を作りたい。なぜか、といえば、現状の学校制度に対して不十分感を抱いているから。全てが悪い、とは言わないけれど、問題は多々ある。

例えば、平日昼間、小学校の近辺を散歩してみるといい。僕は、不思議だな、と思うのだけれど、小学生たちの両親は、授業参観の日には、学校を訪れるのに、普段授業参観日以外の学校視察することはない。しかも、その視察というのは、学校周辺を散策するだけでだいたい完了するのに。少なくとも、校庭横を歩いていけば、子供達がどのような方法で体育の授業を受けているかがわかるし、耳をすませば、授業内容も、夏場など窓を開け切った時期は推測できる。で、僕は、子供などいないけれど、散歩好きなので、たまに小学校付近を歩く。別に、小学校付近を歩きに言っているわけではなく、たまたま近所の公園へ行く途中に小学校があるだけである。別に、なんというか、小学校近辺をうろついているわけじゃない。不審者じゃないから。で、その際、ふっと校庭で体育の授業をしてたから耳を傾けていたのだけれど、正直、なんでそんなこと命じるんだろう、って命令の連発だった。先生たちも大変だなあ、こんなこと子供達に命じなくてはならないなんて、って思った。「これから体操をするので、体操隊形に並びましょう」とか言っていた気がする。体操なんて、自由にやればいいのになあ、と思った。個人的な意見なのだが、体操時の並び方まで命じる必要ってあるんだろうか。実際に体操をしてみて、相互にぶつかり合うようだったら、お互いに距離を取った方が体操しやすくていいね、とアドヴァイスするくらいでいいんじゃないかな、と思う。そもそも、なぜ、体操時にぶつかり合うのかといえば、隊列を組ませるからだ。要は所定の位置を定めているから、たとえぶつかられても逃げ場が限定される。隊列がなれば、もし、誰かにぶつかられたら、誰もいない空白地帯へとことこ歩いていいて、そこで体操をすればいい話だ。エントロピー増大の法則に従って、勝手に拡散するはずだ。なぜ、座る際、体育座りじゃなきゃダメなんだ?とか、思った。僕が、極端な自由放任主義者、なのかもしれないけれど。

想像上の学校なら、そんなことないのになあ、と思う。どうして、好きじゃない先生、つまらない先生の授業を受けなくちゃならないのだろう。それは、教える教わるという関係が真剣な関係じゃないからだ。師弟関係というのは、師も弟子を選ぶし、弟子も師を選ぶ、決まりごとで自動的に割り振られる関係とは違う、ように思う。

具体的に、心の中にどのような学校を建てるかは、まだ考えていない。ただ、実をいうと、僕が心の中に学校を建てたいのは、場所や建物にこだわりたくない、人間同士のつながりだけに焦点を当てたいって思いがあるからだったりする。校庭や校舎があるから、そこは学校、だなんて馬鹿馬鹿しい発想は切り捨てたい。人間たちが何人かいて、相互に自由に学び合っている関係を学校と呼びたい。で、心の中の学校ってイメージが彼らをゆるくつなげている、そういうイメージだったりする。

ん?それってもうすでにそこそこ存在しているか?

秘密結社とか。いや、でも、そういうんじゃないんだよなあ。

自分でも、よくわからなくなっている。なんというか、やっぱり、教え教わるという人間関係そのものから離れたい気持ちがある。となると、最初に漫画で例示したように、あくまで、イメージだけの学校を作りたいのかもしれない。なんと言いますか、場所や場面や立場や権威や建前と関わりなく、なんとなく、お互いに、お互いのことを、学んでいるんだなあ、と思える関係を思い描いているようだ。駅前でふっと出会った際、「こいつ心の学校であったことがあるなあ」と何と無く思える感じ、か。うーん、我ながらよくわからんが。

まあ、いっか。