こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

労働について あと、ガンディーについて所感

朝食中、アハトマ・ガンディのことをふっと考えて、涙が出てくる。嬉しいような悲しいような。マハトマ・ガンディのことはずっと好きである。詳しいことは知らないけど、さっき、ネット上で彼の写真を見て、なんだ嬉しいような寂しくなくなったような感じがした。

ここでは、さっき触れた、不買運動ならぬ、不労働運動について、書いてみる。もちろん、再三述べているように、これは、僕がそうしたいからそうしている行為であり、普遍的な価値を持つかどうか、僕にはわからない。母に言わせると、どんな職業にだって価値はあるそうだ。でも、僕にそうは、そうは思われない。実際、かつては存在したが、今となっては存在しない(とされている)職業だってたくさんある。奴隷商人だとか、騎士だとか。本当に、そうした職業が必要なのか。あるいは、かつては必要だったのか。あらゆる職業に価値はあるのか。それこそ、現在では、奴隷商人と呼ばれなくても、実態がそうであるような仕事だってあるだろう。ということは、現在でも奴隷商人としての役割は必要とされているのだろうか。でも、その場合、一体、どこのどんな人たちが必要としているんだろうか。

理想郷なんて存在しなくても、理想を掲げたいと思う。

僕の認識では、人それぞれ、価値観が違う。ということは、人それぞれ、社会にどんな仕事が必要か、とか、どういう風に社会に機能を提供したいか、の判断は違う。それはそれでいい、とおもう。その一方で、もし、「こんな仕事誰の役にも立たないし、辛いし、それどころかだれかや何かを傷つける行為にもなりかねない、でも、金のためにやろう」と決めて仕事をされている人たちって結構な人数に登ると思うのだ。例えば、塾講師とか。学生の頃、予備校でバイト(契約社員だったかもしれない)している同級生がいたが、彼曰く、「数学(彼は数学を教えていた)ができる連中は必要な授業だけ、とってほとんど予備校には来ない。できない奴があれもこれもと授業に出て結局受からない」といった発言をしていた記憶がある。だとしたら、予備校の授業の大半は不要なんじゃないか、と思われる。少なくとも、授業数は減らさないにしても、受講生数はぐっと減ってしまってもいいんじゃないだろうか。彼の仕事だって、不毛なんじゃないだろうか。昨日のホテルの仕事でも、同僚から愚痴をちょくちょく耳にした。そして、僕も愚痴を思った。僕は、辛いことが苦手だから、すぐ、逃げるように、「これまでありがとうございました」メールを会社の方へ送った。同僚たちも、辛いなら辞めても良いんじゃないかなあ、と思う。時給は低くても、もっとマシな職場はあるし、愚痴を言うと言うのは、とても素直な証拠でもある。あくまで、僕の個人的判断になってしまうのだけれども、彼らの愚痴は、ほとんど攻撃性というものを感じさせなかった。簡単にいうと、「こんなのおかしい」という系統の愚痴だった。それは、状況や世界に対する愚痴だ。他者、特定の個人への攻撃のための誹謗中傷じゃない。たくさんの人たちがその職場にはいて、その内三分の一くらいの人たちが、困っている人を責めたり、ありがとうも一切言わない性質の人たちだったりした。そういう、傷つけ合うような状況、関係性は、「おかしい」ゆえの愚痴、なのだと思う。一日たって思い返す、印象論に過ぎないが。

僕は、とことんまで甘ちゃんでいたい。それはつまり、素直ってことでもあるからだ。僕は、結構仕事ができる。状況を見て、何が必要なのかがだいたいわかる。人間だからミスはするが、致命的なミスは本能的に避けることができる。ここでいう致命的なミストは、人が命を落としたり、多大な(肉体精神両面で)負傷を追い兼ねないミスだ。

ちょっと話題が逸れている。もともと想定していたのは、不労働運動だった。これは、別に、一切の労働をしないって発想ではなくて、繰り返しになると思うけれど、「こんなのおかしい」って感じる仕事から、それぞれの判断で離職して、「これはまともだ」と思える仕事を見つけよう、見つけたい、というもの。そうすれば、この世界から、「おかしな」仕事がどんどん減って行く、縮小して行くはずである。その際大事なことは、キリストの教えにもある「自分にとって嫌なことは相手に対してしない」って発想を取り入れると、さらにこの流れは加速するだろう、と思う。僕は、需要が供給を生む、消費行動が仕事を生むって、発想が、どうにも人間らしくない、と感じる。というのも、消費と言うのは欲望の一形態であり、ゆえに、際限がないからだ。お客様は神様ですって発想も変だ。もし、その通りなら、この資本主義において、仕事に携わる以上、誰もがだれかの奴隷である。じゃあ、どうすれば問題は解決するか、「お客様は神様です」と言う概念そのものを消してしまえば良い。「奴隷」って概念そのものを消してしまえば良い。「奴隷」と言う概念がある限り、どこかでだれかが奴隷状態になる。そして、奴隷社会の恐ろしいところは、たった一人でも奴隷になってしまうと、連鎖的に奴隷人口が拡大して行くことだ。その仕組みはまだ解明していないのだが、例えば、親が子供を奴隷的に扱えば、その子供が親になった際我が子を奴隷的に扱ったり、あるいは、部活動や会社などの先輩後輩関係でも同様の連鎖が見られる。結局、奴隷と主人の関係が複雑に絡まり合い、誰もが誰かの奴隷になってしまう。もう、そもそも、奴隷って概念というか発想を無くしてしまうしか、ないじゃないか。

なぜ、仕事が辛いのかといえば、1)単純に肉体的に辛い。2)単純に精神的に辛い3)仕事に対して無意味さを感じ辛い。理想は、この三つ全ての辛さがなくなれば良い。でも、まずは、番号が大きいものから対処していくべきだ。無意味な仕事は意味がない。当たり前のトートロジーだけれど。仕事ってなんなのか、正直、僕にはわからない。ガンディーのように、糸車で糸を紡いでいれば、それで僕は仕事をしたことになるのだろうか。Wikipediaによれば、ガンディーは不動産も金融資産も持たず、ほとんど所有をしなかったそうである。本当は、いろんなものがいらないはずである。(何か、物が欲しいのは、満たせないから?満たされない気持ちになるから?なら、満たされた気持ちになったなら、もう、ほとんどのものがいらなくなる、のだろうか)

泣いたら、疲れた。そろそろハローワークへ行く準備へ。