こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

日記 ハンナ・アーレント所感

ハローワークから帰ってきた。ハローワークでしたことは、失業保険の手続きについて質問と、ハローワークの利用法などの説明を聞くことと、仕事の検索とである。基本的に、僕は大抵のことを楽しめるので、楽しく、初体験してきた。電車の中でハンナ・アーレントについて考えたり、マハトマ・ガンディについて考えたりした。色々と発見があった。

結局、本日は、下見のような具合であった。そういえば、ハローワークへ行く前、ホテル業を仲介斡旋してくれている会社から、電話がきた。平和的な電話である。結局、後一度出勤することになった。こちらとしても、そうなるだろうなあ、と思っていた展開なので、不足はないんだけれど、ついうっかり「ほかのホテルはどう?」に「お願いします」と答えてしまった。向こうも押しが強く、流されてしまった形になる。ただ、改めて考えてみると、僕には、ホテル業は、残虐な仕事に感じられる。具体的には、大量の肉が廃棄処分されることに残虐性を感じてしまう。ホロコーストで働きたくないように、僕は、ホテルでは働きたくない。なので、明日、改めてこちらから電話をし、お断りしようと思う。一週間後の予定であるので、お断りは可能であろう、と思われる。

ハローワークで話を聞いたり、調べたりした結果、僕としては、現時点では、やはり、福祉の仕事をやりたいようだ。やりたい、というか、他の仕事の大半が、僕の目にはホロコーストなのだ。繰り返しになるけれど、ホロコーストでは働きたくない。ちなみに、このホロコーストでは働きたくない、というフレーズは、ハンナ・アーレントナチス分析を念頭においている。名前は忘れちゃったけれど、戦中ホロコーストの管理を行っていた役人に対して、ハンナ・アーレントは「凡庸な悪」と判定するのである。その役人は、極めて凡庸で、流されやすいただの一般人である。でも、その一般人が、ナチスに言われるがままヒットラーに言われるがまま、「私には拒否権がなかった」とか「言われるがまま行っただけだ」などと、大量の殺戮を行っていった。あくまでも、僕の所感なのだけれど、(だから、他者に強要するつもりはない。)いま、この日本社会にも、そうした凡庸な悪によってなされる大量殺戮が現存している。日本中にホロコーストがあるのだ。具体的には、鳥インフルエンザが発見された飼育場では、何万羽という鶏が処分される、というニュースを毎年のように聞く。命の数で言えば、ホロコーストよりひどいのではないだろうか?噴霧型殺虫剤で大量の虫たちが殺されて行く。もちろん、僕自身、これまで何千もの無視を殺してきたのだろう、と思う。血を吸う蚊に対しては、やはり怒りを覚える。でも、やっぱり、殺したくはない。できるなら、逃がしたい。そして、大抵の場合、昆虫一匹逃すくらい可能なのだ。蚊を生け捕りにするのには、コツがいるけれど、成功率は低くても、ゼロではない。

まあ、そういうことを、電車の中で揺られながら考えていた。「凡庸な悪」は、世界中に存在している。その事実に、僕は今日の今日まで気がつかなかった。ハンナ・アーレントの射程の広さに驚かされる。

そして、僕は思うのだが、僕たちは、少なくとも僕は、そうした凡庸さから一線を画する必要がある。そうしなくちゃいけない、というか、そうじゃなきゃやばい。僕は、ホロコーストで働きたくない。僕は、ホロコーストで、働きたくない。僕は、ホロコーストで、働きたくない。

そういえば、福祉の他に、受付の仕事も楽しそうだ、という気持ちがハローワークで生まれた。要は、ハローワークの受付の人の中にいい感じの人がいたのである。こういう相手に安心感を与える受付ならやって見たい、と思ったのだ。ハローワークの機会で検索してみると、受付業なるカテゴリーも存在していた。また、農業や植木業なども少し興味があって調べて見たのだが、この近辺では募集されていないようだ。まあ、農地もないし、そういうものだろう。

何はともあれ、今後の方針ややる事は決まった。斡旋会社に電話して、これまでのお礼と新しく紹介してくれるというホテルを取りやめる事。明日、元職場に離職票の発行をお願いする事。明日、再度ハローワークへ赴き、あれやこれや調べる事。後、図書館でマハトマ・ガンディについて調べて見たい、って気持ちもしている。また、いま、感じていることを文章に(こうして)まとめていきたいって気持ちもある。結構、余裕がある。

マハトマ・ガンディ曰く、「一日働かないで、食べるパンは盗んできたパン」だそうである。僕は、パンは食べないが、やはり、働きながら食べたい。ちょっと前の「働いて笑おう」って広告の主旨とはちがう。だいたい、僕が働いた結果、笑顔になるのは、僕じゃなくって、僕の働きによって何かしらかを得た他者であろう。僕は、自分が笑いたいから、働きたいわけじゃない。

僕は、凡庸でありたくはない。凡庸であるって事は、集合無意識とでもいうか、つまり常識に流されてしまうからだ。例えば、食料品店では、余った食料は廃棄して当たり前って常識。殺伐とした環境では、言葉を使って人を傷つけていい、という思い込みが蔓延する。凡庸な人間は、何も考えないから、そうした常識に、「そういうものなんかなあ」と流されていく。凡庸でなくなれば、「なんか変だ」って違和感を掘り下げていける。そして、違和感があるなら、逃げ出せばいいのだろう。ホロコーストを退職する。

 

実を言うと、今、電話をしてホテルの仕事を断ろうと電話したんだけど、「そのうち辞めていいから、つなぎとしてやっておいたら」と言われて、流されてしまった。まあ、多分、向こうは、半分、好意。もう半分は、斡旋をすると何かしらかのシステムで金銭が発生するのだろう。

流されているなあ、と感じるけれど、要は、新しい福祉または受付の仕事見つけて、ホテルの仕事をこれっきりにすればいいのだろう。もし、ここで、僕の心の中に怒りを発生させて、爆発させたら、関係は一気に崩れて、ご破算になるのだろう。でも、怒りたい気分じゃない。素早く、動いていこう。ハローワークに通って、仕事を見つければいいだけ。素早く、自分が進みたい方向へ、進めばいいのだろう。

もちろん、福祉の仕事なら、それでいいかって言うと、そうでもない。福祉の仕事にだってホロコーストの現場はきっとあるだろうから。