こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

ハラスメントについて、僕のまとめ。(+環境から自然発生するハラスメント)

環境から自然発生するハラスメント。ってことを書こうと思う。僕は、ハラスメントについては、なかなか理解が深い。安冨歩先生の著作などから学んでいるのだ。とはいえ、以下で述べることは、あくまでも、僕の理解である。

ハラスメントというのは、まあ、簡単にいうと、被害者に対し、何かしらかの知的・精神的混乱を与え、それに乗じて、被害者の精神を支配する(支配しようと目論む)卑劣な行為である。そして、この定義からもわかるように、ハラスメントって結構いたるところに見られる。学校、親、職場など。何かしらかの利益を追求する場では、現時点の人類の精神レベルでは、自然発生してしまう傾向がある。もちろん、ハラスメントのない素敵な環境も存在する。ここでいう何かしらの利益とは、わかりやすさを優先してやや断定的に例示してしまえば、学校でなら生徒の学力、偏差値、合格実績、問題行動の少なさ、各種大会での入賞成績、など。親、および家庭では、子供など立場が弱い者に対して、親の倫理観にどれだけ従順か、問題行動を起こさないか、近隣の人々から羨ましがれるか、偏差値や学力や進学先の学校や就職先の世間的評価、あるいは、収入、高齢の親祖父母の世話をどれくらい押し付けられるか、などだろうか。会社では、従業員に対して、従順さ、忠誠、利益をどれだけ上げるか、上司に対しどれだけゴマを刷れるか、敵対組織に対してどれだけ攻撃的に振る舞えるか、上司をいかに煩わさないか、どれだけ低賃金で働かせられるか、などだろう。利益の追求は、ある一面では仕方ないことなのかもしれないけれど、利益にだけかかずらわると、他者をないがしろにしてしまう。そして、結果的に、他者に対してハラスメントを仕掛けるようになる。

以上で、僕がハラスメントをどのように理解しているかの概要は説明できたと思う。人々が浅はかにも利益追求に走るから、他者のことなどどうでもよくなる。結果、人間的な幸せを忘れ、他者を(意識的、無意識的を問わず)支配したくなる。そして、その手段として、その他者を知的・精神的に混乱させ、その他者から正常な判断能力を奪う。そうして判断能力を失ったところに、自分に都合の良い教えを吹き込み、まあ、言ってしまえば、半奴隷状態に陥れる。

では、どのように、ハラスメント加害者(ハラッサー)たちは、ハラスメント被害者(ハラッシー)をどのようにして混乱状態へ陥れるのか。大枠で言えば、異なる複数の価値尺度を同時に押し付けることによって、だろうとおもう。ちょっと分かり難表現になってしまった。具体的には、職場などで、上司から「さっさと仕事済ませろ」と「丁寧に作業しろ」という命令を同時に受ける。(もちろん、丁寧に、なおかつ、さっさと仕事をすませることも作業に熟練したら可能だと思う。ただ、こうした二系統の命令を同時に下すのは、たいていの場合優しくない行為だ。)もっと、納得のいく令を示せば、ある上司からは「Aしろ」と言われ、素直にAしていたら、別の上司がどこからともなくやって来て、「なにAなんてやってんだよ。バカじゃねえの」と罵られる。罵られた方としては、「なんなんだこれは」と愕然する。こうしたことを連続的に行われると、事前の身構えがなければ、精神と知性とに混乱が生じる。自分で文章にしながら、文章にするのが嫌になる、卑劣な行いである。人間というのは、それぞれ場面ごとで何かしらかの世界観を持っている。価値尺度とでもいうのか。で、その尺度は、同時に複数持てないのだ。「Aしよう」と思ったら、ひとまずは「Aすることを優先する」世界観というか価値尺度を心に構築し行動を開始する。「Aすることを優先する価値尺度」と「Aしないことを優先する価値尺度」とを同時に保持することは、精神と知性にとって矛盾である。ハラスメント加害者は、この点を巧みに利用してくる(無意識的にしろ)。ちなみに、なぜ、ハラスメント加害者が無意識的に、こうした混乱を誘う行為を行えるのかといえば、おそらく、ハラスメント加害者自信が混乱しているためだろう。精神的知的に混乱した人は混乱した命令を下す。混乱していることに自覚的ならいいのだが、時として、人は地震の混乱に気づかず、行動してしまうことだってある。で、そうした混乱した人の命令は他者を混乱させる。しかも、当の加害者は、自分自身の命令によって混乱しているハラスメント被害者に対して「何わけわかんねえことしてんだよ」と罵る場合さえある。マッチポンプである。ああ、文章にしているだけなのだが、腹が立って来た。

で、冒頭の「環境から自然発生するハラスメント」である。主に職場を想定してもらうとわかりやすかもしれない。例えば、指揮系統がごちゃごちゃした職場。上司が複数人いて、しかも、これから何をやるかの統一が不十分な場合、ある上司からは「Aしろ」と言われ、別の上司からは「何Aしてんだよ」と言われ、さらに別の上司から教えられた通りにしていたら、別の上司から「そんなやり方するな」と言われる。つまり、何が言いたいのかといえば、混乱した職場は、そこで働く人たちの精神や知性に混乱を発生させる。当たり前の話なんだけど。そして、そうした知的精神の混乱に乗じ、社会理念だの会社理念だの「お客様は神様」だのといった創作が刷り込まれる場合がある。つまり、この場合のハラスメント加害者は、個人に特定できないのである。いわば、法人によるハラスメントである。いや、もっと大きい話なのかもしれない。

異なる二つの意見を吟味するのはいい。知性の鍛錬になるし、結局、この世界には様々な意見があるのだから、いくつもの意見や自分自身の感性や様々な知識などを参考にしたほうがいい。けど、異なる相矛盾する命令を同時に受けるべきではない。そもそも、命令って行為自体、ちょっとおかしいんだけれど。

矛盾した命令を下す人は、どうして自分が矛盾しているって気付けないのだろう。多分、短気だからだろう。極めて短期的(短気とかけたシャレ。)な思考(ちなみに、頭の回転が早い、というわけではない。どちらかというとバカの部類だろう。)だから、彼らの中では、「Aしろ」という命令と「Aするな」という命令とが矛盾なく感じられるのだ。しかし、人はそれぞれ異なる時間軸で生きている。

今回の文章は、書きながら、やや怒りを覚えた。僕もまだまだなんだなあ、と思う。正直、ハラスメント加害者のことは嫌いだし、腹が立つ。少なくとも、友達にはなりたくない。