こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

異世界転生と仏国土

ふっと、異世界旅行について考えていた。ライトノベルとか漫画とかでよくある設定というか展開である。ひょんなきっかけから、異世界へ来てしまった。

異世界転生というのは、まあ、ある意味現世とでもいうのか、この社会の否定である。こんな社会嫌だから、もっと楽しい場所へ行きたい、みたいな。

けど、まあ、僕が先ほど脳内でシミュレーションしたところ、おそらく、異世界に行っても

やることは変わらない。困っている人がいたら助ける、とか。まあ、欲望の種類だって変わらないわけだから。

で、じゃあ、異世界旅行に意味がないのかっていうと、そうではなくて、まあ、どこへ行っても自分がやることに変わりがない、なら、逆にどこへ行こうと変わりがない、どこへ行ってもいい、という風になるんじゃないかなあ、と思うのだ。

で、そんな風な思考が、仏国土って発想と結びつくんじゃないかなあ、と思うのである。ちょっと突飛で、まあ、妄想として楽しいから妄想してしまうのだが、例えば、菩薩や仏が、異世界へ転生しても、まあ、菩薩や仏なのである。そりゃそうだ。ゴータマ・シッダルータ(御釈迦様のこと)が、仮に、ファイナルファンタジー的な(と言いつつ、僕はファイナルファンタジーをプレイしたことがないんだけれど)異世界へひょんなことから迷い込んでしまったとしても、やっぱり、ゴータマ・シッダルータは、ゴータマ・シッダルータで、その世界でも仏教が花開くんじゃないかなあ、と思う。まあ、この世界のように、ゴータマ以降、仏教が発展していくかは知らないけど。よくわかんないんだけれど、仏教では、仏国土っていう、世界一つ一つに仏様が一人いて、だから、その世界にいる人たちは救われる、みたいな発想があったと思う。仏教は、生半可に学んでいるので、だいぶんあやふやな知識で、誤っている可能性もあるんだけれど。で、こうして文章にしてみると、ちょっとずれちゃってるんだけど、その仏国土ってイメージと、ゴータマ・シッダルータが異世界転生って(いう空想の)イメージとが僕の中でちょっと重なったのだ。

仏国土の発想っていうのは、まあ、どこにいようと、どんな世界に行こうと、仏は仏だよ、という発想でもあるのかなあ、と思ったわけです。で、逆にいえば、じゃあ、好きなところ行っていいんだなあ、とも思ったわけです。

まあ、そういう思いつきがあったよ、という話。