もやもや気持ち。 支配欲とか他者を否定する心理などについて。思考の整理。

もやもやした気持ちがある。この気持ちを、誰かに伝えたい。でも、もやもやしている。整理がてら、ただ考えながら思いついたままの文章を書いて行く。他者を否定する心理や、他者を支配したいと思う心理について。そうした感情を生むエゴについて。

他者を支配したい、と思う人たちがいる。僕の中にも、そういう心が多少はあるかもしれない。実体験として、学校、職場、サークル等々、そういう人たちがいることを知っている。でも、同時に、不思議だな、と思う。彼らは、どうして、人を思いの儘に動かしたい、と願うんだろう。たかが、他人数名を思い通りに動かせたところで、得られるものなど知れているのだ。独裁者のように、何万人規模で運用できたとしても、同様、たかが知れている。

例えば、パシリ。ジュース、ご飯類を、自分の代わりに買いに行かせたところで、なんになる。時間と手間の節約にはなる。でも、時間は、いくら節約したところで、ただ淡々と流れて行く。そもそも、パシリに使えるほど身近な人間を、奴隷みたいにこき使ってしまうと、色々と損である。第一に、もしかしたら、そのパシリに使った人と友達になるチャンスがあったかも知れない。そのチャンスをふいにしている。第二に、人権思想に反する。他にも、色々あるのだろうけれど、(恨まれる、とか、周りから嫌われる、とか)正直、この二点以外は、さほど重要ではないだろう。というのも、パシリに使わなくても、恨まれる可能性はあるし、周りから嫌われる可能性だってあるのだから。

パシリにするか、友達になるか、って結構大きな差だと思う。友達って不思議なもので、趣味や嗜好が多少ずれていても、互いに仲良くしたいなあ、と思っていたら、友達っぽくなって行く。それこそ、年齢などまず関係ない。きっと、悟りでも開かない限り、人間には、年齢差ってあまり関係ない。確かに、年齢に隔たりがあれば、体験してきたことも大きく異なるかも知れない。例えば、戦争を体験したか、していないか、とか。少なくとも、僕自身は、戦争体験者を前にすると、気がひける。僕が、普段、社会に感じる腹立ちや違和感など、この人たちの戦争体験に比べたら、屁みたいなものなのだろうな、と思うと、自分の感性に自信が持てなくなる。でも、彼らにしたところで、怖いという気持ちや嫌だという気持ちや楽しい嬉しいという気持ちは、僕とさほど変わりはないんじゃなかろうか、と推測する。感情や経験に程度の差はあっても、そうした感情があるってことはお互いに了解しあえる、と思う。まあ、それこそ、僕の学校なんて嫌だ、行きたくないって感情と、戦争なんて嫌だ戦地に行きたくないって感情とは、危険度や切迫度の程度に、大きな違いはあれ、嫌だって、感情は相似だろう、と思うのです。そんな風に、お互いに、お互いの感情を相、似通っていると思えたなら、友達にもなれるんじゃないかなあ、と思うのだ。まあ、実をいうと、そこまで高齢の人と友達になったことはないのだけれど。あくまで、想像で判断しているのだが、おそらく、悟りを開くか、なんらかの浄土信仰(仏教以外も含む)を信じきっていない限り、どんな年齢の人間だって、死ぬのは怖いのだ。せいぜい、年齢が上がれば、死を身近に感じてしまうくらいのもので、死への恐怖感は、どんな年齢の人だって共通だろう。そうした点では、年長者だからと言って、自分より年若いからと言って、大差はない。少し説明が長くなったけれど、死への恐怖という地平で、平等な以上、どんな年齢の人間とだって、友達になるチャンスはあるだろう、と思うのだ。

搾取、という言葉が浮かんだ。これも、他者を支配しようという人間心理が生み出すのだろうか。「搾取するな」という反発も、他者を支配しようする心理の表れなのかも知れないけど。僕は他者から支配されそうになると、カッと頭に血が登り、ふざけるな、と心が強硬になる。でも、そうした心理も、わがままというか、自分の都合通りに生きていきたいってエゴゆえだったりする。搾取だったり、既得権益だったり、という言葉が嫌いだ。一番良いのは、搾取しなくても、既得権益にこだわらなくても、ほとんど自力で生きていけるだけの能力が、個々人に備わっていればいいのに、と思う。でも、能力がない人間に、そのように伝えるのは酷かも知れない。そもそも、既得権益って、前半二文字は、別に問題ないのだ。既にに得たもの、知識だったり、人間関係だったり、技術だったり、色々あるだろうけど、時間をかけて得たものは、貴重だし、大切な個性だろう。でも、権益とつくと、なんだか違和感がある。なんでなんだろう。人権だって、既得権益だ。フランス革命などを経て、既に獲得されたはずの権利であり、その権利は、もし、きちんと行使されているなら、僕たちの生活をとても豊かに、益あるものにするだろう。あれ、そうすると、既得権益にも、いい既得権益があるじゃないか。おそらく、みんなで共有できる、既得権益は、どんどん増やしていけばいいのだろう。特定の個人が独占している既得権益は、適当なタイミングで、解体して行く必要があるのだろうか。正直、よくわからない。考え中。

話がそれるけれど、職業倫理という発想が、僕にはよくわからない。職業倫理は、よく、金と結びついて説明される。「金をもらっているのだから、仕事に責任を持たなくちゃいけない」などと。よくわからない。金は紙切れだろうに。倫理というのは、人々の間の決め事、みたいな意味だから、「金をもらっているなら、仕事に責任を持たなくてはならない」っていう決め事がみんなの間に共有されていれば、その段階で倫理なのだろう。要は、僕が、その輪の中にうまく入れない。金をもらっていても、嫌なものは嫌だし、ナチスの例を出せば、金をもらっていれば、たとえ職場がホロコーストでも、働くのだろうか、みんなは、と思ってしまう。職業倫理って、実は、すっごく、程度の低い概念なんじゃないだろうか。もちろん、あらゆる決まりごとがなくなってしまえば、この社会は混乱するんだろうけど。ただ、混乱=悪、と決まったわけでもない。カフェオレなどは、よくかき混ぜてから飲んだほうが、ミルクとコーヒーがうまく混ざり合い、美味しいかも知れない。立つ鳥水を濁さず、というか、たとえば、滝口で大量の水が流れ落ちた結果、大きな濁流を生むが、その濁流によって、水に酸素が供給されたり、水質が循環して生物が住みやすくなるのかも知れない(根拠のない想像だけれど)。混乱した結果、金や銀が抽出できるかも知れない。問題は、その混乱によって、人死にが出ないかどうか。フランス革命は偉大だったけれど、たくさんの人がなくなった。無茶な話かも知れないけれど、やっぱり、誰も亡くならずに、フランス革命が遂行できたなら、それに越したことはなかった(無茶だよなあ)。職業倫理を守っている方が、なんとなくまともそうに見えるけれど、本当に、そうなのかな、と疑いたくなる。正直、人の数だけ正しさがあるのだろうから、一概に、誰が正しい、と言えない。逆に言えば、安易に、他者を否定することもできない。

僕自身、この社会の大半の仕事は不要だろう、と思っている。でも、やっぱり、現に、社会にその仕事がある以上、なんらかの要請を受けて、成り立っているのだろう。多くの仕事は、人権思想に照らし合わせて、違和感を感じる。家事炊事等のお手伝いさんならわかるが、メイドとかよくわからない(メイド喫茶とかのメイドではなく、本職のメイド)。奴隷っぽい感じがする。ご主人様、とか、よくわからない。何が、主人なのだ。そもそも、他者を様付けで呼ぶのが、よくわからない。さん付けで、敬意は伝わるんじゃないかなあ、と思ってしまう。とは言え、おそらく、メイドさんは、自分の仕事に誇りを持っていたり、意味を見出していたりするんだろう。そういう人もいる。けど、変なの、と思う。

どうして、好きでもない人に、否定的なことを言われても、傷つくのだろう。少なくとも、僕は、しばらく、傷つく。正直、本当に、どうでもいいのである。変な表現になるが、頭だって、僕の方がいいし、肉体的にも、まあ、不意打ちを突かれなければ関節を決めて勝ちだろう、そういう相手に対して、なぜ、こうも、「ああ、否定された、俺ってダメなやつかも」などと思うんだろう。結局、その人が求める人物像から、外れただけである。しかも、安易に他人を否定する人は、否定することによって、他者を支配したいか、それとも、自分自身を肯定したいかのいずれかだろう。言葉の暴力で、優位に立とうとするのは、教師や上司の常套手段であり、そうした、教師や上司も、教師、上司、という肩書を取れば、ただの人である。確かに、彼らには彼らの役割があって、その役割を全うするために、言葉の暴力を振るうのだろう。でも、その役割ってなんだ。みみっちい、拝金主義だったり、企業のブランドを守るため、だったりするのだろう。マハトマ・ガンディが担った役割に比べたら、本当に小さい。

仮に、好きな人から否定されても、傷つく必要ないだろうなあ、と思う。結局、人それぞれ、趣味嗜好は異なるのだから。おそらく、否定する、という行為がナンセンスで意味不明であるがゆえに、傷つくのだろう。そもそも、他人が、自分と好みや考え方が違うなんて当たり前である。にもかかわらず、自分と好みや考え方(職業倫理も含む)が違うゆえに否定するってことは変だ。当たり前の事実に対して、無意味に抵抗している。もちろん、だれかの命に関わる事態は、話は違うのだろう。でも、その場合でも、他者を否定することではなくて、その命に別状ある人の生命を守ることに重点がおかれるはずだろう。何が重要かを考えれば、そもそも他者を否定する必要もない。

他者を否定して、支配しようとする人間は、煩悩の塊か、頭が弱い(という表現で、僕も他者を否定しているんだろうか)。結局、否定されて傷つくのは、僕の煩悩(名誉欲とか)が強いからだろう。煩悩を自在にコントロールできるようになれば、何事もない。それだけのことだろう。

他人についてとやかく言っても始まらないのだろう。全ては、自分の煩悩次第。まあ、今回は、それなりの文量とやかく言ったわけだけれど。