こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

サービス業ってなんだろう?

サービスってなんなのだろう。結局のところ、みんなが、自分たちで自分たちのことをできるのが、最高じゃないか。

例えば、今、鼻うがいをしながら、ふっと思いついた例。シェアハウス。シェアハウスを運営する会社がある。みんなで共同で暮らしたい人たちには、とても便利なサービスだ。しかし、一方で、そんな会社放っておいて、仲の良い友達に「一緒に暮らさないか」って誘う方がきっと、面白そう。お互いに、どういう生活が快適化をアイデアを出し合い、模索し、借りたい家、地域を探すのだ。そして、こうした模索は、実は、シェアハウス運営会社の理念というか、社会貢献の方向とピッタリ一致する。シェアハウス運営会社は、金のことを脇におけば、シェアハウスの利用を通して、みんなが快適に暮らせることを願っているわけだ。で、本来的(って表現には語弊があるだろうが)なシェアハウスは、住む人間が自分自身で開拓していくものだろう。つまり、シェアハウス運営会社とか要らないはずだ。といったことを鼻うがいをしながら考えたのである。

そして、そんな具体例を考えていくうちに、じゃあ、サービス業ってなんなんだよ、って話になった。サービス業は必要か否か。少なくとも、産業の中心になりうるのか。ならないだろう。デパートの案内所。確かに、初めて訪れる際は、利用するだろう。しかし、もし、そのデパートが本当に良いところで、何度も何度も通いたくなるほどであれば、やがてそのデパート内の地理も覚え、案内所は不要となるだろう。デパートの案内所は、初めて訪れる客のためのものとなり、どんどん規模が縮小していくはずだ。少なくとも、そのデパートが次々とリピーターを生む、素晴らしいデパートである限り。そのほかにも、いろんなサービスがこの社会にはあるんだけれど、よくよく考えてみれば、大半おサービスは、初心者向け、なのである。初心者、というとやや語弊があるが、はじめのうちは、何かしらのフォローがほしいなあ、という人が、サービス業を利用するのではないだろうか。例えるなら、自転車の補助輪。いずれ、取り外すのである。また、挑戦が好きな人は、いきなり補助輪なしの自転車に乗ってもいいのである。練習は必要だろうけれど。

おそらく、この社会には、食品以外にも、賞味期限や消費期限が存在している。諸行無常なのだから、当たり前だ。国家にだって賞味期限消費期限があるから、国家制度や統治主権が交代したり合併したり分裂したりする。なら、産業においてもそうであり、おそらく、サービス業は、割合、期限が短い類なのではあるまいか。まあ、知らないけれど。

一人の人間と相対するとき、その人の中に、サービス業的側面を見ることがある。親が子供を保護するってのも、一種のサービスだろう。サービスって言葉にやや拒否感を感じられるかもしれないけれど。保育園や幼稚園などを想起すると、わかりやすいかもしれない。ともあれ、僕たち人間関係において、いわゆる、サービス業と分類されていなくても、サービ業的振る舞いが見られる。しかし、そうした振る舞いは、基本的に全て、死ぬまで続くわけではない。どこかで、期限切れになる。僕が今、思いついたのは、対人関係において、人間には、サービス業的側面と、非サービス業的側面があるというのがまず前提、となる主張。そして、その前提の上で、もし、だれかと一生をかけて関わっていくのだとしたら、五日は、サービス業的側面を捨てることになるだろう。非サービス業的側面に関わる、ということが、だれかと一生関わっていくってことなんじゃないだろうか、という人間関係の見取り図である。

一方、高齢期の介護もサービス業じゃないか、という反論も想定できる。というか、結構、強い反論な気がする。あれこそサービス業って感じがする。ただ、やっぱり、これは正直いって、僕の願望になるのだけれど、人間関係とは、本来サービス業から離れきったところで成り立って欲しい。サービス業でありながら、一生の付き合い、というのは、違和感がある。あくまで違和感である。いずれまた考える。