こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

みみずと仕事

仕事について考えている。同時に、みみずについて考えている。みみずってかわいいなあ、と。

しかし、仕事について考えることとみみずについて考えることは、僕にとっては同次元の思考である。仕事について考えを深めて、社会をよりよくしていくことも、みみずってかわいいなあ、どうして長くてにょろにょろしているのに、みみずは蛇のように怖い感じがしないんだろう、不思議だなあ、と思うことも、僕の中で繋がっている。

なぜ、みみずについて思いを馳せているか、といえば、つい先日、みみず関連本を図書館から数冊借りてきたからである。まだ、読んではいないのであるが、挿入写真はパラパラ眺めている。みみずは素敵である。

みみずが土を食べることで、土壌は豊かになる。これって、仕事だなあ、と思う。すごい話だ。というのも、みみずは、ただ、食べたいから土を食べているだけである。しかし、同時に、土を耕すという仕事も行っている。すごい話だ。

仕事ってこういうみみずみたいな生き方のことをいうのかなあ、とぼんやり思っている。正直、考えはまとまっていない。みみずが土を耕しているとしても、不思議なことは、みみずは他の生物から感謝されて例えば、贈り物をもらったりはしない。(まあ、他の生物の糞を食べたりはするんだろうけれど。)それどころか、鳥やモグラに食べられる始末である。すごい話だ。おそらく、みみずが土を耕した恩恵を鳥ももぐらも間接的に被っていると思う。でも、食べちゃう。すごい話だ。正直、考えがまとまらない。ただ、すごい、としか思えない。

みみずは土を耕すからありがたい、というのは人間の価値観でみみずを評価してしまうからだろう、とも思う。生態系が維持されている以上、どの生物も何かしらかの役割を担っているのだろう。いや、になっていないか。うーん。

仕事ってなんなんだろう。今の所、僕の理想の仕事人はみみずである。みみずのようになりたいか、といえば、「うーむ」と答えあぐねるが、仕事=みみずの人生という関係性を見いだしつつある。

現代の仕事の大半は、みみず的でない、かもしれないなあ、と思ったりもする。何がみみず的な仕事なのだ、と思ったりもするが。みみずのすごいところは、ただ、自分のやりたいことをやりまくっていたら、いつの間にか、他の生物の役にも立ってしまっているところだろうか。あるいは、他の生物が、みみずたちの生活に依拠しているといったほうがいいのだろうか。

仕事というと、ついつい公益性というか、みんなのことを思って、社会を回すために、などといった高度な思考を働かせようとしがちだが、少なくとも、僕には、そういう高度な思考は疲れるようだ。実際、自分を犠牲にして、他社の喜びを、とか、ふざけてる、と思う。一緒にいて楽しい人と一緒にいながら、気がついたら仕事になっていたら嬉しいだろう。

そういう思いがあるからか、僕は、ふっと、みみずに興味を持ち、図書館で本を借り、こうして、みみずに憧れているのだろう。