倫理について

道徳と倫理教育について。ふっと思ったことなのだが、学校等で、道徳や倫理を教える際、まずはじめに、きちんと、道徳と倫理とはなんであるか?から教育を始めているのだろうか?

定義から、物事を始めるのは結構大事だ。じゃないと、根本的なところで、誤解を招く。より具体的に言えば、道徳にしろ、倫理にしろ、所詮特定の前提から要請される決まりごとにすぎないのに、例えば、教えられた通りの道徳や倫理に則って生きれば、それで幸せになれる、みたいな誤解を生む。

まあ、実を言うと、僕は、道徳の定義とかよくわからない。確か、老子の著作が『老子道徳経』と呼ばれているのだが、そこからきたもの、だった気がする。

とは言え、倫理の定義なら知っている。人々の間の取り決めである。もっと言えば、人々が互いに幸せに生きるために共有する取り決めだろうか。

となれば、倫理は、集団ごとに異なりうるわけだ。漁師の集団、科学者の集団。日本人の集団。オーストラリア人の集団。おそらく、共通する部分もあるであろうが、それぞれの倫理は、細部では異なるだろう。

あくまで、僕の印象論に過ぎないのだが、この世の中の大半の人は、「倫理」と聞くと、何か、固定的な必ず守らなければならないルール、のようなイメージを抱きがちな気がする。が、そんなわけはないのである。そもそも、そんな確定的なルールであるなら、人々は、これほどまで倫理について語らない。倫理が時と場合によって、ふにゃふにゃと形を変えてしまうからこそ、あれやこれやと語りたくなるのだろう。

また、倫理より先に学ばなければならないのは、人権思想だろう。そもそも、人間が皆平等で等しい基本的人権を持つと前提におかなければ、たとえば、ナチスの倫理、とか、支配者の倫理のような倫理が成り立ってしまう(倫理、と言うものの定義上、そうした倫理が成り立っても構わない。もちろん、人権思想に照らし合わせれば、完全にアウトである。)。となると、職業倫理などをふりかざす人はやや視野が狭い、と思う。

おそらく、学校という、極めて狭い社会で、倫理を学ぶから、誤解が生じるのだと思う。つまり、人類全体を内包するひろい倫理観ではなく、学内倫理とでも呼べるような、極めて狭い人間集団にのみ適用しうる倫理について、教師も生徒も考えがちなのだろう(ちなみに、僕は高校へはほとんど行っていないので、(九日間くらいかなあ)その辺の教育事情については疎い。あくまで想像。)。

倫理、というのは、それ単体では、ほんとどうしようもない概念である。毒にも薬にもならない。しかも、先に例を出したが、例えば、ナチスの倫理だとか、特定職業の倫理みたいになると、これは、毒である。人類普遍の倫理、くらいまで行かないと薬にはならないんじゃないだろうか。

倫理を学ぶ人って言い方も変だけれど、倫理を振りかざす人はこの辺の事情を理解しておいたほうがいいんじゃないかなあ、と思ったりする。

ちなみに、以前がから疑問なのであるが、なぜ、高校には、「倫理」という科目があるのに、「哲学」って科目がないのだろう。もっと言えば、どうしてどこの高校も似たような科目ばかりなのだろう。おかしな話である。これもおそらく、学内倫理に囚われているからなのだろう(かなあ)。

話はそれるのだが、先ほど、倫理や道徳について書かれたブログを見て回ったのだが、どうも、どれも、偉そうな書き方で阿呆らしかった。けど、僕自身、そういう傾向があるのかもなあ、と思ったり。語尾の(かなあ)で中和されればいいんだけど。