人々の好みへの違和感。

以下の記述は、僕自身にも部分的に当てはまるものである。でも、同時に、僕は、以下の事柄に対して、多少なりとも違和感を感じている。以下、主にこの日本社会を観察して、僕が変だな、と感じることの列挙です。ただ、以下の列挙は、ここ最近、僕が思いついたことであり、網羅的な列挙ではありません。

1)日本の歴史上、織田信長に国民的人気が集中している点。2)宮本武蔵に国民的人気がある点。3)少年漫画の典型的ストーリー。4)賭博系漫画の典型的ストーリー。

1)織田信長に国民的人気が集中していること。織田信長をモチーフにした小説、漫画、映像作品は、後をたたない。わざわざタイトルはあげないけれど、織田信長をパロディ化したコメディから、考証にふける歴史物、あるいは、架空戦記ものと、幅広い人気がある。もちろん、それは織田信長だけに限らず、例えば、武田信玄、や、豊臣秀吉、など、その他歴史人物も、特定のジャンルとみなせるくらい、人気が高い。ただ、僕の印象としては、やはり、日本の歴史上もっとも人気の高い人物って織田信長あたりじゃないかな、と感じています。実際、僕も、織田信長に憧れていた時期がある。でも、ここで、ふっと思うのは、織田信長さんって畢竟、卑怯者なのであるということ。詳しい歴史の話は知らないのだが、徳富蘇峰さんの『近世日本国民史 織田信長(二)』(講談社学術文庫版)には、以下のような記述がある。織田信長さんがだいたい近畿を制圧し、いざ、中国地方の毛利さんと対決しよういう際、織田さんが足利義昭さんと衝突し始めた際よりの驍将であった荒木村重さんが織田さんを裏切るのである。その際、織田さんは、荒木さんの部下、高山右近を味方に引き寄せようとするのである。しかし、そのやり方が、なかなか卑怯である。以下、徳富さんの文章「信長は高山右近が、耶蘇教徒(キリスト教のこと、筆者注)なるを知って、彼の心を翻すには、宗門の力をもってするに如くはなしとし、直ちに伴天連(キリスト教伝来のため日本にやってきた人たち、筆者注)を使用した。」しかも、「高山は荒木の幕下にて、すでに荒木には、人質をも出だし置いたのじゃ。」また、『信長公記』によれば(近世日本国民史よりの孫引き)「(もし、伴天連がが信長の指示通り、高山を教唆したなら)さ候はば伴天連門下何方に建立候とも苦しからず。若しお請け申さず候はば、宗門御断絶成さる可き之趣、仰せ出ださる。」信長も信長なら、伴天連も伴天連であり、また、高山右近高山右近だ。みんな、ひどい。その後の展開を詳しく知らないのだが、荒木村重さんのもとにいる人質はどうなるのだ。また、織田信長さんは、卑怯者である以前に、たくさんの人間を戦争に巻き込んでいる。そうした事柄をふっと思い巡らしてみると、外交的天才性には目を瞠るものがあるが、織田信長さんの人格には、少なくとも、僕は、魅力を感じられない。もちろん、僕は、信長さんに会ったことはない。彼が僕が思い描いている通りの人であるかは、定かではない。

以下、簡潔に進んでいく。

2)宮本武蔵さんは、剣豪、と呼べば確かに格好いい感じがするが、しかし、同時に、大量殺人鬼でもある。彼については、五輪書を二、三度読んだ程度の知識しかない。つまり、彼の実際の姿を僕は知らない。が、もし、彼が大量殺人を犯していたのに、現代に至るまで人々の間で人気が高いのは、変だな、と感じざるを得ない。

3)少年漫画の基本ストーリーは、主人公側(多数派)が、悪役(少数派)を寄ってたかって(暴力的に)いじめまくる、というものである。少なくとも、ここ数年その傾向は顕著である。具体的なタイトルは述べないが、週刊少年ジャンプの新連載の多くは、子供達が大人をよってたかってぶちのめすという話である。まあ、気持ちはわからなくないんだけれど、卑怯な話ばかりだなあ、と感じる。例外的なのは、「暗殺教室」や「ワールドトリガー」くらいかなあ。「ワンピース」もちょっと毛色が違う。

4)以前、賭博系漫画を職場で借りて読んでいた際、感じたこと。「この漫画の主人公、賭博が強いんじゃなくて、いかに相手にバレずにずるをするかに秀でているだけじゃないか」という感想を抱いた。少なくとも、その漫画に対しては、当てはまる、と思う。ただ、賭博、とは言えないかもだが、「月下の棋士」は好きだった(ただの感想ですが)。

以上、ここ最近、感じている違和感について。僕が気にしすぎって説もある。また、僕自身、だからといって、例えば、少年漫画の販売をやめろ、とかそういう発想は、一切ない。たんに、僕の趣味ではないなあ、というだけ。卑怯な物語、卑怯な人物のどこが面白いのだろう、と素朴に不思議なだけである。(「暗殺教室」や「ワールドトリガー」には、ルールがあるから卑怯じゃない、と思うのだ。まあ、僕のさじ加減であるが。)ふっと思ったのだが、正義を語り始める途端、人は卑怯に陥る傾向がある、気がする。実際、なにが、卑怯で、何が卑怯でないかの判断って、簡単なようで難しい。

 

まあ、暫定的な定義としては、他者を肉体的にも精神的にも傷つけないように配慮し、また、嘘をつかず、みんなが幸せになれる道を模索し続けていれば、それは畢竟、卑怯ではないのではないかな、と思う。