こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

食事の快楽について。 食べているつもりになる。

食事の快楽について。

僕たちには、食欲があり、また、食事に快感を求める人は割合多い。美味しいものを食べたい、とか、珍しいものを食べたい、とか、エネルギー摂取以上に、おいしさをもとめる場合のことだ。食事を通して快い気持ちを味わいたい、とでも言えばいいだろうか。

その一方で、実を言うと、こうした食事を通しての快感、つまり、味覚を通しての快感は、実は、食事を摂取しなくても味わえる(ということをつい先日発見した。)。まあ、要は、味覚の楽しみのためだけなら、わざわざ食事を摂る必要はない、のである。

以下、説明を試みる。

そもそも、僕たちは、食事から消化という一連の工程の中で、いつ、「美味い」と感じるのか。いつ、味覚を楽しませているのか。以下のように、考えて見るとわかりやすいかもしれない。僕たちは、一般に、小腸で消化活動を行っている時、「この食事美味しいなあ」とは感じない。また、胃において消化している時にもだ。喉を食物が流れる際も、基本的に、おいしさは感じない。口に入っている咀嚼物を嚥下する際に、おいしさを感じるのか?と言えば、そうでもなさそうだ。あくまで、僕自身の実感で言えば、食事中美味しさを感じるのは、食物をかじる一噛み目である。(実際、なぜ、味を感じるのか、と言えば、食べているものが栄養になるか、それとも毒かを、判断するためであろう。となると、味覚は、一噛み目こそ鮮明で、それ以降は、不鮮明で良いことになるだろう。)以上の説明から、僕が何を言いたいのか、といえば、僕たちは、食事中「おいしさ」を求めているようでいて、実は、ほんの一瞬しか「おいしさ」を感じていないっぽい、ということ。逆に言えば、この本の一瞬の感じさえつかむことができれば、たとえ、実際には食事をしていなくても、「美味しさ」を体感できるだろう、ということ。

たとえば、電車の中吊り広告などで、美味しそうなステーキの絵が描かれていたとする。すると、想像力やパントマイムを活用して、そのステーキを一口かじったつもりになる。すると、僕たちは、そのステーキの味を、感じられるはずである(少なくとも、僕は感じられる)。肝心なのは、一噛み目の感じを、リアルに想像することである。

やや、蛇足というか、脱線補足だが、僕たちが食事に対して抱く、「美味いものを食べたい」って煩悩など、この程度の想像力で満たせる何かなのだ。

また、僕たちは、実は、食事中は、美味しさを感じていても、食事後は、美味しさを感じていない、どころか、満腹感を感じ、体がだるくなったりする、という性質を持っている。もしも、食事をせずに、おいしさだけ感じることが駅たなら、食事後の満腹感、体のだるさを感じることなしに、快楽だけ味わえる、ということになる。まあ、快楽なんて、正直、どうでもいい気はするんだが、ちょっとした、暇つぶし、遊びに使える。