くうねるところ

ブログとは、そもそも読まない、か、読み流すものである(と俺は思っています。)

日記

ちょっと、日記。疲れてきたからってのが大きい。夏の暑さのためだろうか、あるいは、躁の後の鬱のように、上がったり下がったり、ってことなのだろうか。でも、よくよく考えてみたら、別に、日記なんて書かなくてもいいんじゃないかな、って思えてきたりする。まあ、趣味ですから。

文章を書くのは、好きである。好きというか、もう、生活の輪の中に取り込まれているというか、もう、DNA上に上書きされているんじゃないかな、って感じさえする。でも、暑くてしんどいなあ、というのも現実。気がつけば、七月も中旬である。そりゃあ、暑くもなるわなあ。現在お昼すぎであり、一日で一番暑くなる時期なのであろう。

文章を書くのは何故か、と考えると、まあ、うん、寂しいからなのかなあ、と思えたり。この頃、いろんなものから逃げ出したい気持ちでいっぱいである。逃げたい、逃げたい、と思っている。ねばりつく泥のようなものに全身覆われており、けど、全力で走ったなら、にげきれるんじゃないかな、って気持ちさえ湧いている。人間が、嫌いである。

新しい仕事に就いたのであるが、特に無理なくこなせそうな仕事ではあるが、結局のところ、こなす仕事であろう。一年ほど働くつもりであるが、来年の秋頃には、実家へ戻ろう。戻りたい。なんで、今、戻ろうとしないんだろう。多分、まだ、自分に自信が持ちきれていないから、だろうか。何か、やましい感情がある。ああ、逃げたい。逃げたい。

日記を書こうか、書くまいか少しだけ迷っていた。ここ数日間作成していたメモ書きがいくつかあるので、そのメモ書きをふくらませようかなあ、と思ってノートパソコンを開いたのであった。でも、メモ書きを眺めているうちに、「このアイデアは、ま、いっか」ってのと、「このアイデアは自分の中にとどめておこう」ってのとの二種類のアイデアであることが判明した。メモ書きの中で、僕は、標語について考えていた。標語じゃないか、注意書き、か。例えば、「痴漢は犯罪です」とか、そういう看板。なんとなく、違和感があるのである。まあ、ここでは書かないけれど。もちろん、僕も痴漢はやってはいけない、と思うし、やらない。

日記というのは、僕にとって、感情の吐露である。で、それを人に見られたいのか、といえば、見られたくない。あれ、自己矛盾している。うーん、まあ、その、うん。自分でも、よくわからない。一つ言えることがあるとすれば、僕は、今、感情をセーブしながら、日記を書いている、ということだ。本当に見られたくない感情は、多分、この日記内には、描かれていない。

暑い。先ほどまでエアコンを使っていたのだが、エアコンを切った途端、だらだら汗が流れてきた。やっぱり、暑い。

ああ、いろんなことから逃げ出したい。実家に戻るという選択肢は、割合鮮明に見えている。実家を安心してくつろげる活動拠点にできると思うと、安心する。多分、僕は、拠点が欲しいのだろう。出撃基地、と、作戦本部、と、アトリエ、と。そんなみっつくらいの目的にかなった、最適な環境。どうやって、作っていこうか、どんな感じに作っていこうか、と考えるとワクワクする。他人が嫌いである。親切にされても、嫌いである。なぜだ。

急に、人間嫌いになることがままある。嫌いになったからと行って、特に、行動が変わる、というわけではない。いや、重度の時には、行動も変わるのだが、せいぜい、車道のガードレールを蹴りまくって、足を痛めるとか、そういうものだ。あと、極力、人に会わないようにするとか。極力ってすごい字面だよなあ、とおもう。力を極める、である。しかも、使用方法は、なるべくやらないようにする、とか、そういう消極的なニュアンスである。不思議である。

朝方、いくつかの文章を書き上げた。まあ、調子が良いのだろう。それと、アイデアが溜まっていたのだろう。一つ一つのアイデアを丁寧に膨らませることがめんどうで、ごった煮にして、二、三のアイデアをモチャモチャさせてある。

「黙殺」という本をパラパラと読む。政党に属さない選挙立候補者についてのドキュメンタリーだそうだ。軽い嫉妬を覚える。

暑い。

昨日、めちゃくちゃ深爪になったのだが、どういうわけか、もうすでに半分くらい回復している。そういえば、昨日、「回復」って言葉について考える。回復って元に戻るって意味なんだろうけど、この世界にあるもので、元に戻ることは原則的にありえないあろうから、「回復」という概念は空集合だよなあ、と。そんなことを考えながら、昨日電車の乗り換えをしていた。その情景というか、駅のホームの階段を登って、別のホームへ行く過程を、なぜか、いま鮮明に思い出している。あ、神戸屋がある。とか。紫色の髪の下おばあちゃんが急いでいる、とか。背の低い男子高校生が斜めに歩いている、とか。

記憶に関していえば、まあ、いっか。

こうしてブログを書きながら、思うのは、文章を書くごとに、持ちネタがふえていく、ということ。引き出しの多い人少ない人、などというが、引き出しごときでたとえられないだろうなあ、と思う。誰だって、まあ、何千と引き出しはあるだろう。引き出しっていうか、金庫か。鍵付きの。

でも、自分の思考を、引き出しとして、固定させたくないなあ、と思う。自分の役割が決まってしまうようで、面倒くさい。

人間のことが嫌いになるのは、さびしいからなのかなあ、とふっと思ったりする。