シェアハウスと通い婚 および家族観の拡張または、家族よりも部族へ

僕には、この世界は狂っているように感じられる。で、これまでの記事は、主に、その狂いっぷりを批判してきたのであるが、とはいえ、狂っている、狂っている、と名指しで呼ばわっても、必ずしも、改善はしないだろう。というのも、誰か特定の個人によって狂わされたわけではないからである。責任所在が不明瞭なのに、「責任者を出せ」と怒鳴り込んでも、豆腐にかすがいだ。というわけで、僕はそろそろ、この狂った世界で、どういう風に生きたら、気楽で、楽しく、嬉しく生きれるかを模索していきたい。問題の焦点は、食と住と友である。衣に関しては、それほど重要ではないだろう、と思っている。古着屋へ行けば、結構手軽に、丈夫な衣類が手に入るのである。ただ、伝統服の復活は、追い追い取り組んで生きたい課題なんだけれど。食と住とが、気楽に手に入れば、僕たちの生活は、きっと、もっと気楽に行えるだろう。また、友達がいれば、寂しくはない。

で、この食、住、友を、それなりに改善する方法は、おそらく、シェアハウスではなかろうか、と思う(思う、と書いているのは、僕自身、シェアハウスを未体験だからだ。つまり、この記事は、シェアハウス実行計画書である。これから、シェアハウスの実現に向けてあれこれ模索するわけだが、その試行錯誤のための計画書。)。ただし、いわゆるサービス業賃貸業として提供されているシェアハウスでは、ダメだ。主体的じゃない。そもそも共同で家を借りるだけなのだ。友人知人と相談して、勝手に家を借り、勝手に家を共有すればいい。

で、その上で、通い婚制度を復古する。シェアハウスには、諸々問題点があるんだけれど、実は、通い婚を容認することで、だいたい解決できるだろうから。シェアハウスの問題点は、いくつかあるけれど、その一つは、一緒に住んでいた人が、結婚、転勤、その他の理由で引っ越すことになった際、どうするか、という点だ。転勤に関しては、そもそも、引越しを必要とするほど長距離の転勤のない仕事を選べば済む話。その他の理由に関しては、シェアハウス結成時にしっかり話し合えばいい。ただ、結婚に関しては、なかなか避けることができない。なら、共同住居者の結婚を経ても、シェアハウスが壊れないよう、工夫を凝らせばいい。で、それが通い婚。

まず、シェアハウスで食・住・友がどのように改善するかを、まとめておく。

食)まず、食について。1)一人暮らし時より食料を大量に備蓄可能になる。2)役割分担で調理が楽になる。3)耕地面積を増やせる。4)お互いにアイデアを出し合い、さらなる工夫が生まれる。と行ったところだろうか。1)は、一人暮らし時より、収納スペースが拡大するだろうから、可能になる。また、まとめ買いする結果、食材費がやすくなったり、あるいは、宅配サービスの活用も容易になり、食材調達の手間も省けるだろう。2)は、お互いの食の好みや食に対する考え方をすり合わせる必要はあるだろうけど、実質、二人暮らしなら、一人暮らしの半分の手間で食事を用意できるのである。正直、僕は肉類を食べたくない人なので、菜食主義者じゃない友人とどのように料理分担をすればお互いに楽しいのか、まだイメージできていない。まあ、お互いの食文化が離れすぎている場合、無理して当番制にするより、お互いに勝手に調理を行えばいいだろう。3)僕は現在、二人か三人で、庭付き一戸建てを借りることを想定している。庭があれば、よりたくさんの植物を育てられる。トマトやハーブなど、特別畑を用意しなくても、育てられる食用植物はたくさんある。食材をある程度自給できれば、食費の軽減につながる。また、特別に庭がなくても、生活空間をうまく活用すれば、十鉢くらい置けるだろう。4)生活について考えるのは楽しい。工夫をすれば工夫しただけ自分の生活が豊かになるからだ。で、おそらく、一人で考えるより複数人で考えを出し合ったほうがより楽しいだろう。また、一人一人の人間、それぞれの縁起というか、縁がある。たとえば、僕の場合、古着を格安で手に入れられる縁、ベーコンや生牡蠣を割と安めに大量に購入できる縁、などがあった。そうした縁によって生活が豊かになる場合だってある。また、知識量は、単純に、二倍三倍と増えていくだろう。また、住、のところで述べようと思うけれど、アイテムの共有も、新しいアイデアを生むだろう。

住)について。1)借りられる建物の幅が広がる。2)生活空間が広がる。3)家電類など、アイテムを共有できる。4)家事など役割分担が可能。5)お互いの良いところを真似できる。6)一人暮らしより安心。ひとまず、このくらいだろうか。1)家賃の予算にもよるが、一般にひとり暮らしで、一戸建てを借りるのは、ややハードルがあるだろう。でも、二人三人と出資者が増えれば、普通にアパートを借りるの大差なくなる。また、人手が複数人に増えるわけで、不動産屋での交渉なども容易になる。まあ、不動産屋を介さないほうが安く借りられると思うのだが。2)これはあくまで僕の願望だが、一人一部屋にしつつも、互いの部屋を自由に行き来できればいいな、と思っている。例えば、Aさんは、本好きなので、たくさんの本を自室に用意している。すると、他のBさんCさんは、本を読みたい時、Aさんの部屋へいく。また、Bさんはオーディオマニアなので、以下略。Cさんは反対に、無趣味なので、部屋がガランとしている。なので広々とした部屋でのんびりしたい時、AさんとBさんはCさんの部屋を訪れる。そんなふうに、基本的、各自、好きなように自室を使うのだが、時に、お互いに門戸を開く。そんなふうにして、生活空間を格段に広げられたらなあ、と思っている。また、共用スペースも拡大できるかもしれない。まあ、家賃の関係もあるので、そんなに広々とした家は難しいかもしれないけど。3)今の時代、アイテムの共有が乏しい。せいぜい職場の備品を共有するくらいで、生活に必要なアイテムの共有化に成功している例は、稀だろう。そんな時代だから、貧乏になっていくのだろう、と思う。やかんにしろ、なべにしろ、冷蔵庫にしろ、たった一人で使うのは、もったいないなあ、と感じている。アイテムを共有できれば、支出や、必要な道具類の数も減る。また、お互いにレアアイテムを持っている可能性もある。たとえば、僕は、発酵器やジューサーを持っている。いつもいつも使うわけじゃない道具は、人に貸せたらなあ、と思ってしまう。4)掃除、洗濯、料理、また、以外に役立つのは、宅配の受け取り。急な用事で外出際、一緒に住んでいる友達に、宅配受け取っておいて、とハンコを渡せるのは、助かるだろう。また、一人では持ち運べないタンスなども、二人でなら運べるだろう。5)一人ならがんこにきめつけてしまうことでも、二人でなら柔軟に判断できるかもしれない。お互いに、尊重しあえているという前提があれば、さまざまな場面で学びがうまれるんだろう、と思う。また、自分の知らない分野の知識なども、知らず識らずに摂取してしまうだろう。6)世の中に絶対はないけれど、一人暮らしより複数人での生活の方が、人災天災ともに、対応しやすいだろう。

友)について。なぜ、友を必要とするのか、といえば、1)人は孤独を感じると辛くなる。2)一人では、知識、考えが狭くなりがち。3)落ち込んだ際、誰かと一緒にいれば、気持ちが立ち直ることもある。4)自分の感情、考えを友人などに率直に述べることで、楽になったり、新しい発見が生じる。5)友が自分の盲点を指摘してくれる場合がある。6)趣味が広がる。といったところあろうか。正直、細かいことをあげていけば、まだまだ無限に続きそうである。総じていえば、友がいることで、視野が広がり、また、気持ちも楽になる、といったところか。

シェアハウスと通い婚制度の相性の良さについて。実は、僕は子供の頃から、気の合う友達と一緒に暮らすことが夢だった。小学校の友人になったTくんとは、よく、大人になったら一緒に暮らそうと話していた。おぼろげな記憶だが、Tくんも乗り気であった。が、大人になるにつれ、でも、どちらかが結婚したらどうする?ずっと男友達同士で暮らすって、一生乾坤しないことなのか?などと無駄に問題点を列挙するようになった。が、よくよく考えてみれば、結婚、即、夫婦で同居、という発想に囚われていただけである。通い婚で済ませばいいのである。が、その際、子育てはどうする?妻は一人で寂しくないのか?といった問題点がでてくる。しかし、これら問題点も実は問題ではない。解決可能だからだ。まず、妻について。妻も妻で勝手に女友達たちと同居すればいいのである。そうすれば、ひとり暮らしじゃなくなるので、寂しくなくなる。また、子育てに関していえば、妻が妻で複数人の女友達と同居している前提なら、まず、おっぱいを必要とするお赤ん坊の頃は、妻のシェアハウスで子育てすればいいのである。夫は、金銭的な支援や、手伝いへ行けばいい。半年くらい泊まり込んでもいいし、人工ミルクの活用をオッケーとするなら、短期間、夫側のシェアハウスで引き取ってもいい。もちろん、どんな風にくふうしても、子供が赤ん坊の時期は、夫より妻の方が負担が大きくなるのは事実である。ただ、普通の夫婦でもそれは同様だ。少なくとも、夫は授乳ができないのだから。ただ、シェアハウスなら、同居者の支援が得られる。子供の側も、複数のお父さんお母さんがいることになる。これは幸せである。また、子供がある程度大きくなったら、子供の意思を尊重しながら、夫側のシェアハウスにも、子供が泊まり込めばいい。最終的に、どちらのシェアハウスを生活の中心にするかは、子供が決めるのである。また、一旦決めたことを反故にしたっていい。通い婚により、子供は、住居について、(おおきくわければ二)つの選択肢を持つことになるのである。これは、素敵なことだと思う。また、同居人同士協力すれば、子供を無理に保育園、幼稚園へ通わせる必要はないだろう。同居人同士、仕事日をずらし合うのだ。日曜日はAさんが家にいるから、Aさんが子供の面倒を見れる。月火はBさん、水木はCさん。で、どうしても人がいない時だけ、幼稚園などを頼ればいい。幼稚園や保育園不足なのは、僕たちの生活のあり方が、幼稚園保育園を前提に形成されてしまっているからだ。本来、幼児期は、家族と一緒にいたいものだ。無理に幼稚園に通う必要ってないんじゃないかな、と思う。また、僕たちだって、だんだん歳をとるわけだけれども、ひとり暮らし、や夫婦ぐらしより、複数のシェアハウスが、通い婚制度で繋がりあった状況の方が、老後の生活がより安楽になるように思われる。シェアハウスが、そのまま高齢者グループホームになるのである。まあ、グループホームって呼び方も、高齢者って呼ばれ方も好きじゃないんだけれど、既存の制度に照らし合わせれば、そう呼べるだろう。シェアハウスと通い婚制度のコンビネーション、もしかして、最強なのではないだろうか。

また、書きながらふっと思ったノアが、シェアハウスかすると、さまざまな起業が容易になるだろう、と思われる。先ほど、シェアハウス間で子育てというアイデアを書いたが、別に、自分たちの子供だけに限定することはない。自分たちの子供たちある程度育てて経験を積んだ後は、周囲の子供たちの保育所としてシェアハウス内の空間を活用する、という手もある。また、日中、他の同居者が外出している時間帯に、フリースクールを開いてみたり、ちょっとした販売店を開いてみたり、画廊にしてみたり、といったことも可能である。

また、話が前後するが、子供が生まれた際、部屋数が足りなくなるのでは、という問題点もおそらく解決可能である。というのも、部屋が足りなくなれば、増築すればいいだけだから。そんな簡単に増築できるだろうか?おそらくできる。庭に小屋を一個建てればいいだけだからである。庭が狭いなら、近所の空き地を借りてもいい。坂口恭平さんのモバイルハウスのアイデアである。普段は、その小屋で生活をしているが、例えば、食事の時、あるいは、夏場暑くてエアコンが必要な時、などは、シェアハウスへ戻って来ればいい。イメージとしては、小型の一軒家の周りに、小衛星のように、モバイルハウスが並んでいる感じ。空き地が十分に存在するか、が問題点だが、まあ、大丈夫じゃなかろうか。それこそ、いざとなれば、もう一軒家を借りたり、あるいは、より大きな家にみんなで引っ越せばいいだけである。そうした引越し屋借りる家が増える可能性を事前に話し合っておいて、互いに了解しておけば、良いだろう。

また、書き忘れていたのだが、このようにシェアハウス化することで、たとえば、不意のリストラや、あるいは、転職などへの不安も減る。

以上は、あくまで、僕自身の思考の整理を兼ねた、計画の書。以後、少しずつ、友達と話を詰めていこう。たとえ、実現しなくても、「こういう可能性考えたんだけど、どう思う?」って話を振るのは面白いだろう。向こうも、思いもかけない提案に、驚くだろうが、一つの可能性として、楽しんでくれるだろう。

僕は、自分たち自身で共同体を作りたいなあ、と思っている。というのも、現状の自分があまりに寂しいからだ。そのための手づる(って言い方はどうかと思うが)として、すでにある繋がりを活用していきたい。すでにある繋がりを太く力強くしかもしなやかに、育んでいくことで、今は失われた共同体社会をとりもどせはしないものか、と思っている。あるいは、別の言い方をすれば、家族を作りたい。いや、部族っていった方がいいか。従来の家族観とは、男と女が結婚して、子供ができて、あるいは養子をもらって、さらに、犬猫を購入して、犬猫に洋服を着せて、犬可愛がりして、みたいな、くそのようなゴミのような、クソゴミのような代物である。僕は、あえて、口汚く罵りたい。犬猫に洋服を着せ、トリミングして、それで、犬猫のことを大事な家族と吐かせるなら、もっと、人間側に家族の門戸を広げてもいいだろうって。誰でも彼でも、家族になれるわけじゃない。確かに、相性とか、それこそ、利害の追求から一歩も二歩も離れなくちゃならない。でも、大量の小型犬を従えた中年おばさんを眺めるたびに、「ああああ」ってそこしれぬもどかしさを感じてしまう。僕も、犬は好きだし、猫も好きだ。でも、なあ。何か、ずれている。