こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

学校での勉強法(参考資料)

今回は、学校(主に中学、高校を想定)での勉強の仕方について僕なりに考えを述べてみる。ただ、以前も書いたと思うけれど、僕自身、小学校、中学、高校にほとんど通わなかった(合計すると三年と九日間くらいか。日数にしたら609日前後だろう)。そして、それで良かったと思っている。なので、ここで書いていく勉強法(ってほど堅苦しいものじゃないんだけれど)は、学校に毎日通学することを前提としていない。また、ここに述べる勉強法は、僕自身が10代だったころを思い返して考えたもので、学生時代(って学校に通っていなかったんだけれど)の僕が実践していたことではない。

また、以下の記述は、学校での成績を上げるための勉強法であると同時に、いかに学校教育、教師、先輩後輩に振り回されずに生きていくための実戦的な戦略のつもりでもあります。

 

1)学校には、週二、三日通うだけでいい。

毎日通うから体力も消耗するし、ストレス過多になるのである。よほど学校が好きで好きでたまらない、というのでなければ、学校は、「好きな教師の授業を受けるため」か「学習資料(教科書など)をもらいにいくため」か「理科の実験など特別な器具を必要とす」この三つの場合だけでいい。

週二、三日だけ学校に通うメリットはたくさんある。1)学校以外の活動が増える。2)飛び飛びで授業を受けることが知的刺激になる。3)人とは違うことを堂々と行う練習になる。4)学校に行かないことで逆に教師たちに名前を覚えてもらえる。といったところだろうか。

1)はつまり、好きなことを好きなだけ没頭できる、ということである。学校の勉強だけが学習じゃない。2)は、飛び飛びで授業を受けることで時に授業内容についていけなかったり、「?」となることがあるのだが、これが却って考えるきっかけになり、思考力を伸ばす、ということ。わかることをやるより、わからないことをやる方がいいのだ。3)は大事。4)が実は場合による。教師たちの質による。いい教師は、名前をおぼえてくれるし、どうでもいい教師は名前を覚えてくれない。が、逆に、いい教師かどうでもいい教師かを見分ける手立てになる。

なので、好きな教師の授業もたまに休むといいと思う。

 

2)塾にはいかない。

というのも塾講師の仕事は、ただ学生の成績をあげることだけだから。つまり、塾講師は、学生の個性や感性にほとんど頓着せず、ただ勉強を教えるだけだから。また、塾は基本的に学校終了後夜間に通うことになる。すると、結果、睡眠時間が減らされることになり、健康や成長を損なうことになりかねない。

ただし、家庭教師はおすすめ。理由は、1)生徒と一対一でむきあってくれるから(人によるけど)2)好きなことを好きなだけ質問できるから。3)時間帯を相談できるから。この曜日は、学校を休んで、家庭教師に教わる、みたいなやり方でもいいと思う。ただ、相性や人柄が大事だと思う。

 

3)体育会系の部活動には参加しない。

理由は、早朝および夜遅くまでの練習が課せられるから。逆に言えば、それがないなら、入ってもいいと思う。なぜ、早朝や夜遅くまでの練習を避けたい かといえば、塾と同様、睡眠時間を削る羽目になりかねないから。

また、部活動だけが運動ではない。地元の空手道場に通ってもいい。

 

4)教科書との付き合い方

(あくまで、今の僕ならこうするだろう、という方法。参考程度に)

まず、教科書をもらったら初日のうちにざっと目を通す。予習にもなるし、学習内容の大枠をしることができる。また、これをすることで、学校に毎日通わないことの根拠が増える。「一年間分の予習が済んでいるんだから、毎日通う必要はない」と。ただ、ざっと目を通すだけでいいと思う。一字一句理解しようと思ったら疲れるだろうから。また、学校とは基礎教養を身につける場なのだ。ある一定の水準さえクリアしていればいい。完璧に理解しようと意気込む必要はないだろう。

以下、科目ごとの具体的な読み方の例。

・理科、社会科系。

まず、初回のざっと読みは、1)目次を二、三回音読する。2)各章のまとめのみを音読。3)最初から最後までぱらぱらと目を通す。これで、教科書全体の概略はつかめると思う。要は、教科書の概略さえつかめればいい、という読み方をする。多分、この方法なら一冊一時間もあれば完了すると思う。一時間は長い、と感じるかもしれないが、これをしておけば、学校には週二、三日通うだけで一定の学力が身につくのだ。なんだかんだ言って、時間は浮く。

その後の学習としては、定期的(週に一度程度)に一章ずつ音読していくといいと思う。一章の音読にはおそらく三十分もかからないだろう。学校にほとんど通わない分、音読の時間は容易に取れる。また、各章を音読する前に、目次を音読しておくと、各章が全体の中でどのように位置付けられているのかが、わかる。

また、裏技的だが、もし、教科書の内容にほとんど興味が持てないようなら、最後の章から最初の章へ遡るように読んでいったらいいと思う。教科書を含め本は普通ページ数順に読むように設計されている。なので、あえて最後の章から読むと「前章で述べたように」とか「第一章参照」のように、最初の方の内容への言及が度々見られる。で、後ろから前へ読んでいくと「前章で述べたって何を述べたんだ?」とか「第一章参照って何を参照しているんだ?」と興味が湧いてくるのである。まあ、少なくとも、僕の場合。難解な書物の場合この後ろから読みは危険だが、教科書程度の内容なら、問題ないだろう。

また、あえて付言しておきたいのだが、たとえば世界史について書かれた書物は、なにも学校教科書だけではない。日本史や化学物理などもそう。なので、教科書はささっと読み通しておくことをお勧めする一方、教科書に飽きたら、その科目に関連してそうな適当な書物を探して、同じように読んでいってもいいんじゃないかな、と思う。そうした時間を設けるためにも、学校は通わなくていいだろう。

・英語

英語の教科書は基本的読まなくていいと思う。というのも、英語に関して言えば、座学的な知識などいらないからだ。要は、英語を聞いて理解でき、話せ、読め、書ければいいのである。まず、聞き取れるようになり、次に、話せるようになり、次に読めるようになり、その次に書けるようになればいい。

なので、教科書を読むくらいなら、You Tubeで英語の対談動画を眺めている方がいい。不思議なもので、動画だと、たとえ言葉が聞き取れなくても、だいたいこんな意味のこと言っているのかなあ、ってわかってくる。毎日毎日ひたすらYouTubeの英語動画を眺めまくる(ただし、目が疲れたり、視力低下には気をつけて)それで英語学習の初歩は十分なんじゃないかな、と思う。

ただ、英語の教科書を一切読まないと、教師や同級生たちの会話に付き合えなくなるかもしれない。なので、1)目次を二、三度音読する。2)全てのページにざっと目を通す。3)付属、あるいは別売りの例文音声を数度聞く。4)教科書に書かれた会話文を数度音読しておく。くらいでいいと思う。英語の教科書は、文章量はすくないので、簡単に読み通せると思う。

また、英語学習に関して、アイフォーンやパソコンなどの言語設定をEnglishにすると、自然と英語が目に入り、英語慣れする。

・国語

実は、国語の教科書も基本的に読まなくていい、と思っている。理由は1)教科書に載っている文章=日本語で書かれた裁量の文章ではないから。2)教科書に載っている文章以外にも、日本語の優れた文章はたくさんあるから。3)教科書にでている文章がそのまま入試で使われることはないから。1)2)の理由が本音で、3)はついでである。(僕のやり方だと、推薦入学は厳しいので、それなりにいい点とれるようにならないと、行きたい大学に入学できないから)

文学に関して言えば、気になる小説をひたすら音読していけばいいだろう、と思っている。また、評論など論理的な文章なども同様である。気になる領域、気になる著者の本をひたすら音読すればいい。

ただ、国語の教科書に収録されている文章自体、なかなか名文揃いなので、1)ざっと目を通す。2)週に一文ずつ音読して行く。といった学習を行うといいかもなあ、と思います。

・数学

数学もあまり読まなくていい。1)目次を数度音読する。2)ざっと目を通す。3)章はじめになる例題などを解説に頼らず自力で解法を考えてみる。4)例題が解けたら、次の章へ行く。

これで十分なんじゃないかな、と思う。考え方の要点さえつかめたら、もうそれだけで、思考能力は向上しているのである。類題を大量に解かなくてもいいのではないか。全国珠算選手権をめざしているわけでもないなら、計算速度はそんなに速くなくていいし、同じことを繰り返し練習していると却って思考が硬直化するだろうから。

 

5)市販の学習参考書、問題集は基本的に使わない。

理由は1)受験向けの学習参考書は二流の著者によって書かれていることが多いから。2)問題集の演習は、単に、問題解決速度を速める練習に過ぎないから。

1)は、盲点になりなやすいが、説明を聞けば納得してもらえると思う。以下のように、考えてみるのである。一流の歴史家(たとえば宮崎市定さん)が、わざわざ受験向けの学習参考書を書くだろうか?もしかしたら、書くかもしれないが、例外的な場合だろう。

というわけで、もし、参考図書を必要するなら、受験向けの学習参考書は無視して、より広い読者に向けられた書物を選ぶのよい、と思う。直接的な受験テクニックは学べなくても、幅広く、深い知識が手に入ると思う。受験テクニックなど、受験の半年前くらいに詰め込めばいいのである。

2)問題集を買いまくり、問題集を解きまくると、ただ受験のためだけの学習になってしまう。けど、それは寂しいなあ、と思うのである。所詮問題集は、新しい発想をおしえてくれるものではない。問題集の目的は、1)すでに身につけた知識が習得しているか確認する。2)より素早く問題を解く練習になる。3)出題傾向を知る。この三つくらいだと思う。だとすると、問題集を解くのも、受験の半年から一年前でいい。

僕は、受験自体不要な制度だと思っているが、もし、受験が避けられないとしても、受験のための勉強と日常の学習とは分けて考えた方がいいと思う。学校の勉強は、少なくとも建前の上では、受験のための勉強ではなく、子供達に幅広い教養を身につけてもらうための学習である。だとすれば、受験のための勉強は、本の例外的な期間に限定すべきだろう。具体的には、高校三年生の一年間くらいでいい。

僕の学習方法だと、学校には基本的に通わなくていいのだ。となると、わざわざ中学受験、高校受験を経なくてもいい。あるいは、特に受験勉強しなくても、受かる中学、高校でいい。

市販の学習参考書や問題集を購入しなくていい、となると、その分お金が浮く。教科書はほぼ無償出手に入り、その他(受験に対応しない)参考図書は図書館で借りればいい。受験関連の参考書を図書館で借りると、多数の書き込みがあり読みにくいが、非受験参考書ならその心配もないからだ。

で、浮いた金で、月に一度ほど、家庭教師に来てもらったり、空手道場に通ったりする。

 

6)学校での学びにこだわらなくてもいい。

学校の科目の中にはわざわざ学校へ行かなくても学べることはたくさんある。

具体的には、料理、裁縫など家庭科で習うこと。絵を描いたり楽器を演奏したりすること。工作も自宅でできるし、パソコンがあれば、自宅でコンピュータについて学べる。運動なら、その辺をかけまればいい。

つまり、家庭科、音楽、美術、情報、体育といった科目は、わざわざ学校へ行ってまで習う必要はない。というか、毎日料理を作って、家事手伝いをしていたら、家庭科の授業は不要だろう。絵なんて、好き勝手にかけばいいのだし、音楽だって、指パッチンだって楽器である。音楽や絵がうまいやつには、学校の授業とは関係なしに、ひたすら楽器やっていたり、絵を描いていた連中が多い。

 

7)宿題は一切しなくていい。

なぜならば、宿題の多くは、受験対策だからだ。いかに問題を素早く解けるかの練習である。くだらない。

 

8)試験は受けなくていい。

試験も宿題と同様である。どう行った問題が出るのかをチェックする程度でいい。そもそも、試験の無駄なところは、試験時間終了まで時間的に拘束することである。つまらない試験だったら途中退場してもいい。

ただ、クソ教師の中には、テストの点が低いとバカにしてくるクソもいるので、奴らを黙らせるために、たまに学年トップを取るのもいい。

 

9)体力を学校教育で浪費しない。

学校に通っているのに、勉強ができないのは、おそらく、学校教育に体力をうばわれているから、だと思う。普段十分休んでいたら、一、二ヶ月ガガっとやれば、ググっと身につくだろう。もちろん、ある一定の日常学習は必要だけれど、それにしたって、毎日五、六時間も勉強する必要はない。週に一日集中して教科書を音読する日と、週に二日、遊び感覚で学校に通う日、月に一日家庭教師に話を聞く日、そのほかの日は、一日一時間くらいYouTubeで英語の動画を見て、もう一時間興味のある本を読んで、それ以外は、自由時間、でいいんじゃないかなあ、と思う。

 

10)学校教育のほか、体力を浪費することを避ける。

テレビ、とか、塾、とか。世間体とか。見栄とか。全国模試、とか。

テレビを見る際、一度考えて欲しい、アナウンサーって本当に頭いいのかな?って。頭のいい人もいると思うのだけれど、テレビで喋っている感じはただのお嬢さん。

 

11)いろんな人に会いに行く。

武術道場に通ってみる。絵画教室にかよってみる。美術館にいく。博物館に行く。美術館の講演会に行く。お寺に遊びに行く。近所の山や川を探検する。フリースクールに遊びに行く。カルチャーセンターに遊びに行く。大学に潜入する。親戚の家に泊まり歩く。釣りをする。旅行に出かける。山登りをする。海に行く。映画を見に行く。試写会に行く。平和公園に行く。被爆地に行く。自衛隊基地を遠くから眺める(立入禁止区域には立ち入らない。危険だから)。

 

12)注意点

学校にあまり通わないでいると、以下の能力が落ちるケースがある。1)視力。2)筆記能力。3)体力。

1)視力に関しては、インドアになり過ぎたり、パソコンをずっといじっていたりすると落ちやすい。また、視力が落ちていることに自分で気がつかない場合もある(黒板がみえにくいなあ、とった気づきが得られにくいため)。ただし、対策は十分に立てられる。定期的に、自宅で視力検査を行う、とか、根を詰めた作業を続けると視力低下につながることを理解しておく、など。2)学校にあまり通わなくなると、文字を書く機会が減る。結果、文字が汚くなる。僕みたいに。けど、これだって、対策は可能だ。練習すればいいだけ。それに、汚くても読める字をかければ、問題はない。3)体力には、色々な種類がある。たとえば、重たいものを持ち上げる体力。サウナに一時間くらい入っていられる体力。自分にとって必要な体力さえあれば十分だろう。一時間散歩をして息が全く切れないなら、日常生活において特別問題はない。

 

13)まとめ

書きながらわかったのだが、僕の考える勉強法の柱は、二つ、1)学習内容の全体像をささっと把握する。2)くだらないことに体力を消耗させない。である。が、この二つは、相補関係にある、と思う。たとえば、教科書をババっと読んでしまいさっさと基礎教養を身につける、それによって学校や塾や宿題の必要性が減り、学校や塾に通わない分体力を温存できる。で、余った体力で、さらに全体像を把握する。学習を深める。自分で学習できるのだから、学校や塾や宿題はさらに不要になる。するとさらに体力は余る。そして、、、という円環。

 

14)まとめ2

べつのまとめかたもあるなあ、と思った。要は、自分でできることは自分でやるに限る、である。学校行かなくても学べるんだったら、学校に行かなくてもいいよね、という話。