こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

いらないもの 

この世界にはいらないものが溢れかえっている気がする(あくまで、僕の個人的見解であるけれど)。

例えば、食事や料理の場面では、大半の調味料がいらない。また、唐揚げや天ぷらなどは消化器官に負担を強いるので、油類は基本的にいらない。加工食品の大半もいらない。菓子パンやお菓子類もいらない(お菓子が食べたい時は自作すればいい)。アルコールも、ただ頭が鈍くなるだけなので、いらないだろう。鍋一つあれば、大抵の調理はできるわけで、電子レンジもオーブンもそのた調理器具も、基本的にはいらない。

通運業がこれほど発達した社会なら、車だっていらないし、バイクもいらない。自転車も、まあ、なくてもなんとかなる。

衣類というのは、防寒と吸水、日除けの機能さえ全うできれば、特別なこだわりなどいらない。ブランドものもまあ、眺めるのは楽しいけれど、なくてもいい。水洗いで大抵の汚れは落ちるし、また、汚れが落ちなくたって、特別の問題が怒らない以上、衣類用洗剤もいらない。同様の理由で、食器用洗剤もいらない。手洗い用洗剤も、おそらく必要ない。

病院も、ほとんどいらない。なぜならば、大抵の病状は、本人に体力が備わっており、必要な栄養摂取が行えておれば、半日寝れば自然回復するからである。同様の理由で、薬局も、いらない。僕は本が好きだが、この世界には、クソのような本も大量に出版されている。他者の煩悩を刺激して、購買意欲をくすぐるためだけにつくられた本など、消えてなくなればいい、と思う。他者の不安を煽って、それで自分たちの儲けを生むなど、ゴミのような発想である。

塾や学校も実はいらない。塾は本当にいらない。子供達の睡眠時間を奪うからだ。夜間塾に通えば、それだけ睡眠時間が減る。すると、子供の成長が阻害される危険がある。教育産業とは、子供たちがすくすく育つことを応援する産業のはずだ。その産業が、送迎バスまで用意して、子供たちから夜を奪うなど、自己矛盾も甚だしくないだろうか?もし、塾を経営したいなら、日中昼間に開講すべきだ。学校だっていらない。ちょっと前、高校教育無料化などと政治家どもがのたまっていたが、高校程度の学力なら独学で身につく。また、高校卒業資格も、試験一つで取得可能なのである。実は、僕たちは、何十万という学費を払わなくても、一万くらいの受験料で大学受験資格は入手可能なのである。なら、高校など通わなくていいだろう。

小学校や中学校の存在意義も微妙である。理由としては、塾批判と重なる。授業時間が長すぎるのである。子供達が一日十時間以上眠られるように配慮するなら、もっと遅い時間に開講して、もっと早い時間に終業すべきだろう。

犬に洋服を着せる必要もない。「この犬は暖かい地方原産だから、洋服がないと寒いのよ」なら、日本で飼うなよ。日本の気候に適応できない犬を、無理やり日本で飼うとか、動物虐待だろう。バカじゃないのか。

なぜ、真夏の熱中症が心配される季節にスポーツ大会が開かれるのか。意味がよく、わからない。

なぜ、社会的にもとめられていない仕事が、ただ、金儲けになるって理由だけで存続しているのか。意味が、よく、わからない。

大量の食べ残しを生み出す飲食産業に意味ってあるのか?

重度の障がい者が働く意味ってあるのか?(働くことが困難な場合、十分な生活費、医療費がしキュされるべきじゃないのか。なぜ、手足が十分に動かない状態で、それでもなお社会の歯車、職業倫理を彼らに押し付けなければならないのだ?彼らがただ笑って暮らしていてはいけないのか?)

よくわからないよ、僕には。

どうして、この街は見渡す限りアスファルトで覆われているのだ?本当に、全ての道路がアスファルトで覆われる必要性があるのか?もし、この社会の大半の人たちが、実は自動車ってそんなに必要じゃないよねってことに気がつけたなら、自動車の絶対量も減り、アスファルトの道もなくなるだろうに。

なぜ、少しでも土地が余れば、すぐさまマンションやショッピングモールを建てるのだ?建設には時間かかるし、体力も使う。別に、なくてもいいじゃないか。マンションもショッピングモールも。ただの空き地でいいんじゃないだろうか。森林公園は率先して作るのに、どうして、ただの空き地を容認できないんだろう。

海外へ旅行行かなくても、ハネムーンなんかしなくても、本来僕たちは、(相互の了解さえあれば)どこでもかしこでもセックスできるはずじゃないのか?

遊園地に行かなくても、子供とはどこででも遊べるはずじゃないのか。

学校へ通わなくても、本さえあれば、どこででも学べるはずじゃないのか。

学校の部活動やスポーツクラブに属さなくても、すきなところで好きなだけ運動できるはずじゃないのか。

はたして、スポーツジムは必要なのか。確かに、夏屋外で運動をするのは暑いし、虫に刺されるけど、なら、夏は運動を控えればいいだけ。

なぜ、TVの向こう側の女優に発情するのだ。彼女は僕のことを受け入れてくれるつもりが一切ないにも関わらず。

なぜ、TVのお天気お姉さんに明日の天気を教わるのだ。空を見たら、明日明々後日くらいまでの天気くらい、なんとなくわかるっていうのに。

なぜ、女子アナウンサーに日々のニュースを音読してもらうのだ。本当にくだらないニュースばかり放映されているっていうのに。

そもそも、TVなどもう、いらないはずなのに。

なぜ、児童虐待するのに、子供を産むのだ?性的快楽などただのまやかしに過ぎないのに。

なぜ、競走馬を痛めつけてまで、賭け事に熱中するのだ?

人が殴り合うのを眺めて本当に楽しいのだろうか?

漫才師の漫才より、友達との会話の方が楽しくないか?

踊りを眺めるより、自分自身が踊り狂った方が楽しくないか?

広告を作ってものを売るより、ほんとうにいいものを作った方が面白くないか。

学校の勉強より、自分の興味あることを調べる方が、楽しくないか。

結婚式をホテルで開く意味があるのか。好きでもない会社の上司を披露宴に呼ぶ必要ってあるのか。ただみんなで、特別なこともせず、一緒にたべたり、一緒に話したりした方が楽しくないか。なぜ、花嫁と花婿だけふたりぼっちで雛壇に飾られているのだ?政略結婚なのか?お飾りなのか?なぜ、ちっちゃい丸テーブルを孤島のように並べているのだ。二、三十人が一緒に座れる座敷でいいじゃないか。

なぜ、この社会では、自分たちの土地は自分たちのみで使おう、という気持ちで溢れているのだ。クソみたいな家を建て、それで街の景観を保っている、などと抜かすのだ。子供達を自由にまねきよせるわけでもあるまいに。

くだらない作法ばかりが重視される。

なぜ、サライーマンはどいつもこいつもスーツ姿なのだ。革靴とか、牛さんの皮を剥いで作るのだ。かわいそうじゃないか。はき心地も悪いし。今、ネットで検索したのだが、革靴に使われる牛革には、生後二ヶ月の牛さんの革も含まれているそうである。そんな代物を、学校の制服だから、とか、社会人だから、とか、そんな理由で履きこなして、なにが嬉しいんだ?狂っているよ。

それとも、僕の方が狂っているんだろうか?

競馬場で、「きゃーかわいい」と馬に手を振る女子が、同じ口で、馬刺しをうまそうに食っている。

なぜ、鳩やカラスに餌をやってはいけないんだろう?なぜ、猫や犬に餌をやってはいけないんだろう?なぜ?

なぜ、犬のうんちは拾わなくちゃいけないのだろう?犬のうんちも数日経てば、みみずさんや色々な微生物のおかげで土に帰るのである。そして、土壌が豊かになる。いぬのうんちは、本当にゴミなんだろうか?

駄菓子屋さんはつぶれていいんじゃないだろうか。なぜって、駄目な菓子を売っているから、駄菓子なのだ。そんなものを子供に売る商売、無くなってもいいだろう。

なぜ、立ちションしてはいけないのだ。立ちションしていると、クソのようなおばさんに文句を言われるが、彼女は、おしっこを我慢することでどのような害が肉体に及ぶかを知らないのだろう。無教養な人間だ。教養ある人間は、平気で立ちションをするものだ。

 

いらないもの、過剰なものをパパッと切り捨ててしまったら、残るのは、大量の時間と空白地帯である。それでいいんじゃないかなあ、と思う。気楽だし。時間を持て余して、暇で暇でたまらなくなって、結果、生きることに虚無感を感じるかもしれない。でも、それでいいんじゃないかなあ、と思う。悟ればいいだけだし。大量のあまり時間は、ただ自分の好きなことに没頭すればいいだろう。

 

以上に書いたことは、全て今現在の僕の本音であるが、同時にそれゆえに、偏った意見であろう、とも思っている。たとえば、僕は、政治に対し一切の関心がない。上記の文章には、政治を変えるには、とか、今の政治のダメな点、とか、そういう視点がない。興味がわかないのだ。そのほか、個々の意見にしたところで、僕自身は妥当な意見だ、と思っているが、反発を覚えるひともいるだろうし、そもそも、「こいつ何言ってんだ?意味がわからん」という人もいると思う。でも、それでいいのだろう。みんなの意見を一つに統一しよう、という発想のほうが異常だろうから。わかりあえない部分はわかりあえないまま。でも、それでも世界や社会は変えたいけれど。