こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

新しい(かどうか知らんが、私の)賃金論(馬鹿にはわからぬであろう)

馬鹿には何を言ってもわからんと思うが、民間の貨幣経済においては、金というのは気楽に働いている連中に渡すもんだ。もっと言えば、楽々仕事している連中に金は払った方がいい。

気楽な仕事の反対がなにかっつーと眉間にしわ寄せ、多大なストレスフルな状態で、寿命や健康や知性や精神を損ないながら働いってるってことである。こういう連中には一切金をやらない方がいい。努力努力と、頑張っている連中は特に金をやらん方がいい。

頑張っている連中には一切金をやらず、生活を干上がらせねばならない。

なぜか。

頑張って働いている=辛いけど働いている、そんな連中に金を一切払わねければ、そんな連中もやがて「こんな辛い仕事なのに金が少ねえってどういうこと!?」とキレるからだ。で、キレたかれらは、彼らにとって今より楽な仕事へ転職するだろう。で、それでいいんじゃないかなあ、と私は思うんです。

理想を言えば、人間みんな気楽に生きれた方がいい。それなのに、たかが金のために辛い思いして仕事している連中がいる。なら、そんな連中に金を払わなければ、連中も、辛さからの逃走を始めるはずなのだ。で、より楽をしている連中、より気楽に生きている連中に金をやれば、みんなそちらに流れていくだろう。それでいいのだ。

気楽=生産性が低いってことじゃない。生産性が低い気楽もあるが、大抵の気楽とは、適度にリラックスしている状態でもあるので、一見わけがわからんほどの創造性が生まれる場合が多々あるのだ。眉間にしわ寄せて、受付するくらいなら、全身金箔塗って大道芸した方が楽しくないのかなあ、という話。いや、私はそんな肌がカピカピしそうなことしないけど。この頃隠部が汗疹で悲惨なのだ。パンツは毎日履き替えるべし。

もちろん、社会には例外ってある。なぜならば、この社会はまだ理想に達していないからだ。理想状態じゃないんだから、例外だってある。けど、まあ、民間の経済かつおいてならば、私が異常に主張したことも妥当なのではないだろうか。

苦しい思いをして働く理由、目的ってこの世にあるのかなあ?私は20年以上考えて着たけれど、ついぞ思い浮かばない。だって、楽な仕事もあるし、私は楽々、ときおりふざけ合いながら働いている人たちのことが好きだからだ。先日インド料理屋へ行ったのだが、そこの料理人たちはハタハタ笑い合いながら調理したり、客が会計をする際「ありがーとう、ござましァア。Very thank you」と陽気に言っていた。それでいいんじゃないかなあ、と思う。よくあるインド料理だったけれど、またこようかしら、と思ったもの。労働条件が悪い代わりに時給アップとかって本来、ありえないんじゃなかろうか。労働条件が悪い=不機嫌に仕事をする=客にも不機嫌が移る=結果、客足が遠ざかる、それが当然の断りじゃなかろうか。労働条件が超楽だ=気楽に仕事をする=客にも気楽さが伝染する=客足がやや上がる、それが当然断りじゃなかろうか。なので、労働募集とは本来、労働条件がいいほどに賃金を上昇させ、労働条件が悪い悪趣味な仕事ほど賃金を下降させるべきものなんじゃなかろうか。

変なこと書いているのかな、私。

深夜営業とか、時給三百円でいいんじゃなかろうか。そしたら、誰も深夜に働かなくなり、みんなわくわく暮らせるんじゃなかろうか。

まあ、外交官とか自衛官とかはどうなるのだ?って話だけれど、民間に限った話なのである。