こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

ふと思ったこと ゴミ収集車の放送

私が暮らしている地域が特別なのかもしれないが、

 

私のくらす地域ではごみ収集車がごみ収集中ずっとようわからん放送をしている。

 

熱中症対策に水を飲みましょう」

 

その手の放送である。

 

なんとも言葉では形容し難いのだが、北朝鮮の国営放送のアナウンサーみたいな声で以上の主張をしきりに繰り返す。

水分補給が足りずにぶっ倒れるのも私の勝手だし、逆に水分を補給するのも私の勝手であるのになあ、と端的にいって腹が立ってくる。この手の放送を考えた人は、ごみ収集に携わる人の精神について配慮せんかったんかなあ、などと思ったりもする。仕事中ずっと、人々を責める口調の女ごえで「夏は、熱中症対策に水を飲みましょう」と喚かれ続けるのである。しかも「そんな何遍も言わんでもわかっとるわうるせえ」と殴りかかろうにも、その声の主はその場にはいないのである。ピンポンダッシュより姑息だ。

市行政は人々の好判断に期待したほうがいいよ。私はゴミ収集車の放送を聞くたびに、まるで子供扱いされている感じがして、腹立たしい。人々に知性を期待して信任しなければ、人々が活発に知性を働かせることも稀だろうと思われる。

実際に軽い熱中症でぶっ倒れかけた人間が、「今日は昨日より暑い感じがするし、多少多めに水飲んどこうかな」と判断するなら知性的だが、ゴミ収集車の放送でそういっていたからというそれだけの理由で水を飲むのは馬鹿だよ。あいにく、子供達のなかには、そういう馬鹿がうじゃうじゃいる。そういう馬鹿が、自分の経験を生かそうとする子供達を馬鹿にするのである。自分自身の経験をもとに、「このくらいの水分補給でおっけー」と判断した子供に対して、「もっと飲まんとあかんやろう」と無分別に強制するクソ餓鬼どものことである。大人のいうことがいつも正しいわけじゃないのに。そもそも、ゴミ収集車の放送はただの録音であり、その録音もただの原稿の読み上げであり、つまり、責任ある誰かが自身の声を使って表現しているわけじゃないのに。

変だなーと私は思う。

(てか、この手の話、このブログで3度目くらいだなー)