くうねるところ

ブログとは、そもそも読まない、か、読み流すものである(と俺は思っています。)

「ゴミを捨てるな」って書かれた看板について

「ゴミを捨てるな」って書かれた看板についての私の個人的な感想。

 

「ゴミを捨てるな」って書かれた看板、私は嫌いなのである。

そういう看板の周囲は大抵ゴミで溢れている。雑木林がコンビニ袋で溢れている。よく、じゃがりこの空箱がおっこちている。他のお菓子の箱よりあっとうてきにじゃがりこだったりする。歩きながら食べるんだろうか、みんな。

 

「ゴミを捨てるな」って看板はなんだか「命令」ってかんじがする。もっといえば「権力」の匂いがぷんぷんする。文面からして命令分だし、ただ看板を立てればどうにかなると思っている時点で権力者って感じがする。

 

私は市役所にお世話になってありがたかったなーって体験もたくさんしているのだけれど、同時に市役所というか行政って嫌いだなーって「ゴミを捨てるな」の看板を眺めながら思うのです。

 

ゴミが満ち溢れていて、もうこれ以上ゴミ希なんか嫌だなーと思ったらするべきことは、第一にするべきことは一つであろう。それは、「ゴミを拾い集める」であります。ゴミを拾い集めれば、周辺のゴミの散乱は少しは減ります。少なくともゴミを拾い集めるスピード大なりゴミが捨てられるスピードとはならないだろうと予測します。ゴミってそう頻繁に捨てられるものじゃないから。

「ゴミを捨てるな」って看板をおっ立てるって蛮行は、このへんの当たり前の行動をすっ飛ばしている、ないがしろにしている。そして、ただ命令している。ゴミを捨てるな、と。軽々しく命令を下す人間はクズ人間である場合が大半です。

そもそも、「ゴミを捨てるな」と書かれた看板それ自体がゴミである。ひっこぬいてやろうかしら、などと私は思うのである。引っこ抜かないけどさ。

 

実際のところどうなんでしょう?私は、私に共感する人間をごくわずかしか知らない。私は、今回も、この場を使って、なかなか的を射た主張を展開したつもりなのですが、大半の人間には、この私の知性に理解が追いつかないらしい。

私は、そうかるがるしく命令など赤の他人に命令などされたくないのである。命令する人間は極めて無責任に無時間的に命令する。一度「ゴミを捨てるな」って看板を立てたたら、その「ゴミを捨てるな」って命令は、二、三十年間、道ゆく人々に降り注ぐわけである。それおかしくない?と思うのである。

まるで、実体のない実在しない命令社が私たちに始終命令を下しているわけである。おかしいよ、と私は思う。

 

こうした実体のない実在のない存在者による自己主張は、じつは私たちの身近でわりと露骨に行われている。その代表格が選挙ポスターである。選挙ポスターで好印象に微笑む政治家たちである。少なくとも、私は伊吹文明にも松井一郎にも直接お会いしたことがない(この二人はたまたま思いついた例であり、特に他意はない。具体名がある方が私の違和感が伝わりやすいだろうと思ったまでです)。にもかかわらず、私はしばし彼らの笑顔に遭遇したしまた今も遭遇する。これって実はすごく変なことなんです。直接の面識もない人間の顔を始終視界に押し付けられる。それは一種の権力の行使だし、暗示や刷り込みとも呼ばれる卑劣な行為です。でも、わりとみんな平然と生きている。みんな割と平然とそんな卑劣な行為に勤しんでいる。しかも、それがさも立派な行為かのように。

変だなー、と私は思う。

「ゴミを捨てるな」の看板みたいな人たちだなー、というのが私の政治家諸氏らへの感想。