くうねるところ

ブログとは、そもそも読まない、か、読み流すものである(と俺は思っています。)

日記1

端的に言って、この頃、私は調子が悪い。自分で自分の人生を思い通りにできていない感じが、が強くするのである。そんな感覚があると、気持ちも落ち込んでゆく。もう、いやだぜ。逃げたいぜ。こんな社会からおさらばしたい、って気持ちが強くある。

私は社会福祉系の仕事をしている。この手の仕事の悪いところは、利用者さんの人権ばかりを尊重することだろう、と私はいくつかの社会福祉系の仕事を渡り歩いた後で感じている。職員だって同じ人なのである。障がい者が主人公になれる社会を、などというスローガンはどこかへんてこだ。主人公がそんなうじゃうじゃいられるものではない。勝手にやっていろ、という話である。どういうわけか知らないけれど、ほんのちょっとした工夫で私たちは今よりもっと快適に働けるはずなのであるが、そうしたほんのちょっとした工夫をみんな怠っている。空気ってやつなのだろうか。ああ、腹が立ってきた。なので、この話題は後一言で区切ることとしよう。死んじまえ。

調子が悪い、と書いたが、いい面というか工夫が実ってきている面もある。それは食事である。食生活ってのは一つのスタイルだ。1日三食食べるってのもスタイル。1日一食ってのもスタイル。もちろん、そうした食事スタイルは食事形式はもっと細かく設定できる。で、私はそのもっとこまかい設定をあれこれ取り組んでいるわけである。今。で、その細かい設定が安定的に、つまり、空腹を感じることなく、なおかつ、体重も増えつつ、なおかつ、毎食に美味しさを感じつつ、生活を営めているわけですね。いい感じだ。私はここ一年ほど菜食主義者だったのだが、肉類をほぼ一切食べない、って限りを解いてみることにした。理由は体重が減る一方だったから。体力的な限界を感じた。体重が減ること自体は実はどーでもいいことなのだが、体重が減ると自分より体重が重いやつに勝ちにくくなる。自分より重いっつーだけで、要は不摂生で脂肪蓄えているクソ野郎に、力で負けるのが癪だったのである。私は体重に対して筋力がある方なので、そこまでの体重増加はいらないのだが、まあ、ぼちぼち体を大きくしていこうかな、と思ったのである。痩せるのは、老人になってからでいいだろう。しっかりと技を身につけた後で。

ちなみに、私は現在1日2食を基本にしているのだが、しっかり食っておけば、日中腹減ることがない。一日二食のメリットは、昼飯をくわなくていいことだ。まあ、そのまんまだが。昼飯ってのは、外出時などはどうしても、外食になりやすい。あるいは、コンビニ食とか。料理としてあんまうまくない上、質も良くない上、金がかかるってのは嫌だなー、と。あと、食後って胃腸などに血液が集中するからあたまがぼんやりするのだが、その頭がぼんやりする時間帯が一日三回から二回に減るってのはうれしい。

この頃

徳田雄洋さんの『離散数学「ものを分ける理論」』って本を読んでいるんだが(ブルーバックスからでてるやつ)、めっちゃわかりやすく、しかも、めっちゃおもしろい。これまで、んなことかんがえたことねーよ、って内容を対話形式で段階的に理解できる書き方で表されている。すごいなあ。みんなが納得できる羊羹の分け方、とか。はあ、そこまで考えたことはなかった。とため息が出た。しかも、その羊羹を分ける際、みんなを納得のさせるやり方が、客観的に等量にわけるってのではなく、各人の主観的評価を利用するってやり方なのだ。私の中で数学感が変わった。数学的思考ってもっと客観的な評価を点数化するみたいな発想だと思っていたのだが、人それぞれそれぞれの立ち位置によってものの見方が変わってくるのだから、その各人相違する物の見方を応用して、各人に納得してもらいましょう、って発想はすげえなあー、と思った。すげえ。経験の積み重ねによって得られた太古の知恵って感じがするよ。

考えてみると、私はこの頃、すごくいい本に出会いまくっている。道端でミシェル・ウエルベックの『服従』も拾ったし。そういえば、散歩コースの途中にすももの木を見つけ、拾い食いしたらなかなかうまかった、なんてこともあった。そのうち10個位拾ってきて、夕飯にしたいなあ、と思っている。

私はおそらく、というか、当然、というか、もう、なんていえばいいのかしらんが、文章を書くのが好きなのであろう。この世界はクソだから、私の文章に対して、お前の文章はダメだ、などとのたまうくそがいるが、くそは死ねばいい。あんな連中恩師ではない。この世界には、ダメ教師ばかりを恩師と呼び、もう、恩師といえば、生徒の目を摘むことだみたいなクソ発想があるから、あかん。変えてなければ。ああ、クソ。って話が変わっている。私は文章を書くのが好きなので、こうして文章を書いているうちに、気持ちよくなりましたよって話。ああ、えくすたしー。えくすたしーって割と日常的にそこらへんに転がっております。ああ、うひょーい。えくすたしー。

 

 

付記

先ほど気が付いたのだが、当ブログのアクセス総数がちょうど100になった。嬉しい限りである。祝いの日だ。私の中で勝手に祝日だ。次の祝日は、200か、投稿数<アクセス数か、一日100アクセスか、まあ、知らん。祝いたい時に勝手に祝う。

 

私は何かを祝いたい時奇声を発する。今さっきは「うえわおーいお」と叫んでみた。奇声を発するのは楽しい。楽しいことはいいことだ。で、いいことは人にオススメするのがいい。奇声を発するのが恥ずかしい場合は、猫っぽく発すればいい。きっと、「なんだ、猫か」と受け流されるであろう。声帯模写とは奇声を発するために使うのである。犬の遠吠えをまさしくそれっぽく真似できたら、どこでもかしこでも好きな時に遠吠えすればいい。「なんだ、犬か」とちんけな阿呆どもはあなたの遠吠えに気づかず、あなたの遠吠えしたい気持ちを踏みにじろうとはせんであろう。本当は人間だって遠吠えしたり、鳴いたり、囀ったりしたいはずなのである。ああ、全部政治家が悪い。