日記2

散歩に出かけていた。散歩から帰ってきた。私は日記を書こうと思う。別にこれは日記ではないのかもしれない。私が好き勝手に、思いつくがままに書いているだけだから。そもそも、私は日記つーものが嫌いである。なんだ、あの感その一行記録は。んなものクソであろう。夏目漱石の日記とか、夏目の文章とは思えないほど、つまらない。いや、言い過ぎだな。そもそも、私はつまらなそうな文章は途中で読むのをやめるので、夏目の日記の全体など知らぬのだ。知らないことをとやかくいうのはあかん。

散歩中、すげえ家を見つけた。すげえ。その家っていうかとあるアパートの一棟なのだが、ベランダがすごかった。すずめが二、三十匹たむろしていたのである。人間の暮らすアパートのベランダにすずめが三十匹。これはすごい話である。すさまじいと形容してもいい。そのベランダには、いくらかの観葉植物が並べられてあったのだが、それゆえに、スズメが集まっていたようだ。あるいは、水飲み場などが用意されているのかもしれない。道路からだと見上げる形になるため、その全容は知れないのだが、なにかしら、スズメが集いたくなるような場所なのであろう。

散歩中、クソ車にクラクションを鳴らされた。私はただ歩いているだけである。狭い道なんだから、歩行者の歩行を待ってそれから車が通ればいいのである。クソだなあ。日本の運転手は。車はすごく気楽にクラクションを鳴らす、ならば、私たちも、すごく気楽に「ひょえーい」とか「どぼどぼどぼーん」とか「ぐひゃららー」などと奇声をあげても良いわけである。それで、警察とかに職務質問されたら、いや、自動車ならごく普通にやっていることですよ。人間より自動車を優遇するんですかって言えば良い。はずなのだ。

ああ、クラクションの話題でとあるアイデアを忘れてしまった。ああ、そうだ。あれだあれ。職業倫理を振り回す人は阿呆だ、という話だ。なぜ、阿呆か。私たちが何かしらかの職業についているってことは、職業に就く以前の状態もあったってことだ。その際に、職業倫理が存在してたかって話なのだ。これじゃ、わかりにくいので繰り返しになるが説明する。たとえば、もし、あなたが、たとえば子供達に健やかにそだってもらいたい、その支援をしたいって初志をもって、小学校教員になったとする。すると、その初めの動機「子供の役に立ちたい」って気持ちの中には、微塵も職業倫理(たとえば、子供達を差別してはいけない、とか、丁寧な言葉で接せないといけない、とか、給食は残してはいけない、とか。そういったクソ倫理)などないのである。つまり、あなたには、小学校教員になりたい、なる、って動機は存在していたのだが、小学校教師としての職業倫理を守りたい、守ってみせるって動機は微塵もないはずなのである。これはあくまで一例であるが、他の職業においても、同様であろう。ある職業につきたいって思いは私たちは抱きうる。しかし、ある特定の職業倫理(実はんなもの創作にすぎないのだが)を守りたい、って気持ちが自然に沸くはずねーんだよばかあ。という話。確かに私の言葉は乱暴かもしれないが、すさまじく、的を射た考えさせられる話であろう。あなたの、本来の気持ちはどうなの?って問いかけている。

職業倫理を始め、なにかしらの、倫理観に流されている連中は、常識に侵されている。脳みそがくさっている。臭い。人間として臭い。

そういえば、おととい、古墳を見にいこうと思い立った。職場の近所に古墳がうじゃうじゃあるのである。早めに家をたち、仕事前に古墳で弁当でも食おうと思ったのだ。が、古墳までの道のりが思っていたより遠く、しかたないので、その途上の神社で遊ぶことにした。まあ、あそぶつったって、参拝して、しばしのんびり過ごすのであるが。名前は書かないが、なかなか良い神社であった。夏日であったこともあり、木々生い茂る境内は憩いの場所だった。結界が張っているっていったらオカルトっぽいが、行き交う車の音も遠ざかり、空気もひんやりしていた。私はお礼参りが面倒なので、参拝時にはいっさい願掛けはやらないことにしている。これはなかなか気楽な参拝方法である。さて、そろそろ家を出る時間である。今日こそは古墳へ行こう。