こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

日記4

先ほど、目が覚めた。と言っても一時間くらい前だろうか。この頃、十二時間睡眠モードに移行している。夢の中が楽しい。夢の中が居心地がいい。とりたてて夢を見るわけではないのだが、夢などすぐに忘れてしまうのだが、夢に浸っていたい。淫夢も見るしさ。

ひとまず、そういう時期なのであろう。私の人生には時折そういう時期が介在する。9歳から10歳くらいの頃も、一日十五時間くらい眠っていた気がする。この頃知ったのだが、幼年期は肉体的にも知的にも成長のためには大量の質の良い睡眠時間が必要なそうだ。ってことは、幼年期の私は、無意識のうちに、その時に、必要な睡眠をとっていただけなのだろう。今の私にだって、同じことなのかもしれない。私は私自身を否定したくない。いつだって、私は私の思う通りに生きていてよいし、それが一番よいこと。私にとってもこの世界にとっても双方に。

この世界は嫌だ。よくわからないことで私を責め立てる。理屈に合わないこと、そもそも理屈の成立しない事柄で、私を責める。そして、そんな風に責められ続けていると、私自身が私を責めそうになる。世界は本当に、くそったれだ。

私は寂しいのでこうして日記を書いたり、ブログを運営している。運営ってちょっとちがうか。思いつくままに、思いついたものを、包み隠さず、なおかつ、わかりやすさも一方で目指しつつ、ただ書いているだけだ。ただ書いているだけのことを、運営だなどと、わけのわからない言葉で総括したくはない。そういう言葉私は嫌いだ。大嫌いだ。この世界には、私には理解できない言葉がたくさんうじゃうじゃと漂っている。運営って言葉もその一つだ。主催でいいだろう。いや、主ってことばもいらない。発起人、とか、催す、でいいだろう。運営などという言葉は、どこか生権力の匂いを感じさせる。

私は、常に新しいことを感じて、考えて、文章にしたいい、って思いがある一方、繰り返し繰り返し、同じことを文章にしたいって欲望も併せ持っている。もしかしたら、この二つの欲求は、どこかで一致しているのかもしれない。なんとなくそんな感じもする。繰り返したいことがある。それは私が寂しいってことだ。とどのつまり私がブログなんてものをこれからも続けていくのは、私の考えていることの二割くらいを理解してくれるひと、私の考えていることの二割くらいに、「ほー、なるほど」と感心してくれる人々を探すためだ。私は、文章を書いているのではなく、探しているのだ。少なくとも、このブログにおいてはそうだ。そもそも、私のその他の生活においても同様であろう。この世界は、今の所つまらない。面白いことも山のようにあるんだけれど。その面白いことの山のすぐ隣に、うんこの山がうん千、うん万、と積み重なって一大山脈を形作っている。南アルプスが全てうんこだったらって想像してほしい。で、唯一うんこでない山稜の一つに私はたたずんでいる。いや、そんなんでもないなー。ちょっと作った。だって、その情景、格好悪いから。私はそんな格好悪い情景にあえて身を投じたりしない。

別に、みんながみんなうんこってわけじゃない。ただ、頭が悪いだけだ。

頭が悪いから、偽善に走る。

本当にいい人なんてこの世の中にいない。みんなただ、何かしらかの権力団体に属しているだけ。で、その権力団体の理念ってやつに付き従ったり、反抗したりしているだけ。なんだそりゃ、って話だけれど。じゃあ、いっそ、権力団体から身を話して、一個人として権力だの煩悩だのを発揮した方が、わかりやすいのにな、と思う。なにはともあれ、組織の権力や理念を振り回す人は嫌いだ。心臓が痛くなってくるからあ。組織の権力や理念ってなぜか説得力がある。不思議だ。でも、その権力や理念に反対する権力や理念だってあるのだ。どっちつかず、なのだ。障がい者の権利を守る組織(まあ、具体名を出してもいいんだけれど、やめとこ)に属している人たちは、本気で、ただただ障がい者の権利だのなんだのを守ろうとしている風に見える。でも、実は違っていて、障がい者の権力を拡張しようとしているだけなのだ。似ているようでいて、まあ、微妙に違う。まあ、障がい者は、権力をほとんどもっていないので、多少は権力を付与してもバランスが取れるのかもしれない。でも、その権力が振るわれる相手は誰だろう?しょせん、障がい者たちの家族だったり、もともと権力を振るわれ続けてきた弱者だったりするんじゃないかな?権力は権力者に対して振るわなくちゃ。じゃなきゃ、バランスが取れないよ。弱者が弱者に権力を振るう、そんな下部構造を量産してどうなるのか知らん。そもそも、知的障がい者に対して、ただ成年に達したからという理由だけで、選挙権が与えられるのは、間違っているってどうして誰も指摘しないの?変じゃないのかなー。子供に対しては選挙権を与えられていないのに、精神年齢が6歳とか3歳とか1歳とかと推定される知的傷がい者に選挙権が付与されるのは、筋が通らない。これはなにも、障害者の権利を無視しているって話ではない。もっと言えば、耄碌したジジイババアにも選挙権は付与しないほうがいい。もちろん、何を持って耄碌と捉えるか、何を持って知的障害と捉えるかは微妙だ。で、その基準を恣意的に決められないために、とりあえず、老人にも、知的障害者にも選挙権を与えているのだろう。でも、その選挙権を個人利用する悪党もいる。老人ホームの理事長とか。知的障害者施設だって、結構露骨に、投票先の誘導を行ったりする(場合もある)。もういっそ、選挙権なんて、20歳から40歳の間の特権ってことに決めちゃえばいいのに。そうしたら、耄碌したか耄碌していないか、さほど問題にはならないだろう。老人どもが溢れかえり、その一定数が耄碌してしまった状態で、でも、耄碌した老人ってがめついから、なぜか選挙には欠かさず出かけたりして。あ~あ。

選挙って実はものすごくつまらない行為なんだろうと思う。多数決も同様。実は、ほとんど一切自己主張を行なっていないのだ。じゃあ、つまらなくもなる。

台風、早く来ないかなあ。

上記の選挙にまつわる批判は、実は、そんなに本気で書いていない。差別的な発言になるかもしれないけど、私、知的障がい者のこと、あんまりすきじゃないのだ。正確には、好きになれる障がい者もいれも、大っ嫌いになる障がい者もいる。で、その割合が、だいたい5:95くらいなのだ。私は、なんというか、好き嫌いで物事を考える人だから、好きな人の権利や生活は守りたいし、守られるべきだ、とか思っちゃうんだけど、嫌いな人のことは、勝手にしてろばーか、と思ってしまうのだ。ただ、肉を食うことと眠ることだけが欲望の全てなんてやつ、私は嫌いだよ。これは、食べることと眠ることしか主体的にできない状態の人のことをいっているわけじゃない。なんというか、精神面の話。あ~あ。やっぱり、差別主義者だなあ、私。自己弁護しずらい。する必要もないか。嫌いな人のことは嫌いってだけなのだ。それだけだ。本当に。嫌だったのだ。彼女のことが。私はきっと、承認欲求ってものがつよいのであろう。私という存在に配慮してくれず、ただ、肉を食って眠って、いらいらしたら悲鳴をあげる、そういう人間のことを私はしんそこどうでもいい、と思ってしまう。嫌いだ。嫌いなだけだけれど。

慈悲ってどういうことかよくわからない。キリスト教アガペーだってよくわからない。一匹の迷える子羊など放っておきたくなる。

ある境界内で、振り回される正義。その境界内では絶対的な正義。でも、正義ってものそのものが私は嫌いだ。しんどい。なんでみんな「しかたないね」って心持ちで振る舞わないんだろう。だって、所詮、障害とか、この世に生まれてくるとかって、「しょうがいね」ってことじゃないだろうか。障害があった「しょうがいね、でもそれだけだ」って。障害があった分、何かで埋め合わせる必要って多分ないだろうし。障害とかその人が持ち合わせてしまった性格とかで、その人が早死にしてしまうのも、やはり、ある一面でしょうがないことで、そのことをとやかく論議するのは疲れる。

みんな勝手に生きて、勝手に死ぬだけだろうに。

そりゃあ、社会や世界は生きている間によりよくしていくよ。でも、なんつーか、それは、社会や世界をよりよくすること=自分自身のこの世界に対する解釈をよりよくしていくっつーことにすぎなくって、他人をどうこうすることとはちょっと違う。もともと空いている穴はどうすることもできないし、どうしたいのだろう?いや、話が曖昧になっているけれど、障がい者の母は「こんな風に産んでしまってごめんなさい」ってずーっとうじうじクソのような考えに囚われている場合があるから。ただ、穴が空いていた。が、その穴を埋める何かはない。なぜならば、この世界の全ての座標は、唯一無にの時空間としてナンバリングされており、ある時空間を別の時空間で埋めるってことは、原理的に不可能だからだ。ある時空間は、ずーっと(時間概念を超えて)その同一の時空間のままなのだ。なんつーのかな。地球って球体でまるいけど、私たちはその丸さを実感しないよね。もし仮に、「地面が丸いなんておかしい、真っ平らに引き延ばせ」って怒鳴って、そう試みたとしても、その引き伸ばされた地面は真っ平らにはならないのだ。球体だって真っ平らに感じてしまう。穴ぼこだらけの世界であっても、穴ぼこなど感じなかったりする。

誤解を招かないよう補足するけど、それは、社会の不備をそのまんまにしていいって意味じゃない。ただ、世界は穴ぼこだらけで、でも、実は中身のない穴ぼこなのだ。だから、その穴ぼこは埋めることができない。というのも、その穴に中身はないから、そういう話なのだ。我ながらわけわからんが。感覚で話してます。感覚って不思議なもので、ずれちゃうとほんとにわけわかんなくなるからね。

ああ、文章を書くってたのしー。また、書くからね。じゃあね。