こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

日記6

台風が過ぎ去った。夕日が綺麗だったから、散歩に出かけた。食後だったからすこし腹が張っていたのだが、今日は特別な日だったから、抗えなかった。証明を落とされ真っ暗なコンビニ。駐車場の看板がぶっ倒れていた。私のアパートもゆっさゆっさと揺れるほどの風であった。今は美風である。30度ほどまで傾いていた竹が折れもせず元気よく伸びていてびっくりする。松の枝がいくつも折れていた。いい匂いがした。

台風が過ぎ去った後だからか、ちらほらと人々が家から飛び出していた。そういえば、信号機が曲がっており、ライトが灯っていなかった。車というのはひどいもので、信号機が止まっているとわかると、完全に自己中心的に走り出す。われがちに走り出す。スピードを緩めるということもない。車は嫌な生き物である。

私は何をしているんだろうか。文明批判とかそういうことはジャレド・ダイアモンドに任せておけばいい。私はもっと別の方向へ進みたいんだがなー。ついつい、いろいろ批判が頭に浮かんでくる。

そういえば、台風がだいたいやんで、母に電話をした。おばさんという自己中生物の悪口を伝えるためである。母はだいたいわかってくれた。わかってくれる人はいるってことなのだろう。おばさんはゴミなのでさっさと早死にしてほしい。糖尿病でもなんでもいいから。馬鹿は死んでも治らない、という言葉は嫌いである。正確には、馬鹿は死ね、である。おばさんとおっさんがこの日本では馬鹿の二大巨頭である。話せばわかる。わかる人もいる。ってことは救いである。まあ、そのうち、この社会も少しずつ少しずつ変わっていけるのだろう。

風が気持ちよかった。台風こわかった。多分、これまでであった台風の中で一番強力であった。すぐに去っていったけれど。アパートがユッサユッサ揺れたのだから。いろんなものが飛んでいく様は面白かった。うっかり屋外に干したままにしていたゴム手袋がくるくるくるくる屋根伝いに飛び跳ねる様は面白かった。多分あれ、私のだよなあ、と目で追いかけた。今日はいい日であった。台風に出会えたから。台風なんてめったにであえるものじゃない。奇遇である。珍客。

さきほど、散歩からの帰り、羽がボサボサになったカラスが、アパートの屋上に佇立していた。大変だったんだなー、と思った。時折、妙にボサボサのカラスに出会う。以前首の周りの羽だけごっそり引き抜かれ血の滴るカラスに出会ったことがある。あれは、仲間内での喧嘩だったのだろうか。鴉には好意的でありたい、と思う。なんとなく、烏も烏でいいやつだったらなあ、と思う。

台風が済んで、遠くの方で鴉たちが鳴き交わしている。お互いの無事やなにか、ねぎらいの鳴き声なのだろうか。もしも、「あのクソ鴉こんかいの台風で行方不明なんだってさ」「ざまーみろ」とかそんな会話を交わしていたら、なんだかなー、嫌である。カラスの鳴き声は優しい意味内容であってほしいものだ。

唐突だが、おばさんは言葉がおかしい。「恥ずかしい」とか「みっともない」とか、そういう意味のない言葉を振りかざして、他人を縛ろうとする。死ね。おばさんには、死ね、という言葉しか与える気にはなれないし、それでいいのだろう。ここでいうおばさんとは、精神的おばさんのことであり、別に、40歳だろうが50歳だろうが、いい人はいい人で、そういう人のことを私はおばさんとは言わない。長生きしてほしーなー、と思う。

私はこの頃、おばさん恐怖症に罹患している。おばさんの顔がチラチラ頭に浮かび、ひどく神経を衰弱させている。死ねばいいのになー、と割と本気で思ってしまう。だって、おばさんという種族は、本当に、無意味に、生きて、他者を縛っているのだから。この世界を一瞬でよりよくする方法は確かにあって、この世界からおばさんとおっさんを滅ぼすことである。もしくは、奴隷状態にすることである。

でも、そーいうわけにはいかない。というのも、今この世界ですくなからぬおばさんとおっさんが権力を握っているからである。権力者でもあるのだ。彼らは。でも、私は思う。実は、権力って、ただの言葉で、意味のない空っぽの言葉なんだよ、って。だから、権力にすがる人間、すなわち権力者って、必然、そーいう意味のない言葉に振り回されている人間だけなのだ。私は、そーじゃないから、私は、この先一生、権力者になることはない。

自分たちの決めたルールで、勝手に、勝者を演じている。それが、権力者なのである。傍迷惑だよね。

散歩中、後輩たちと素っ裸になって、大学の正門でうんこをする未来を幻視した。私は、ちょくちょく、つまり、一日に500回前後、ふとした拍子に未来を垣間見る。これは幼年期よりの私の特性である。そういえば、1度目の就職先も、予知夢で確認済みであった。別に、これは超能力ってわけじゃない、優れた能力ってところだ。エスパーではなく、能力の問題だ。で、私たちは裸になってうんことしっこをするのであった。きっと、未来は変わる。変わるって言い方はあれだが、未来は今よりよくなっている。その証拠に、私は、未来で、後輩たちと一緒に大学の正門と京都御所で、うんことしっこをしていた(過去形であるところが重要だろう)。