日記9

散歩に出かけ。散歩から帰ってくる。体操をし、ご飯を作る。ご飯が炊きあがるまで日記を書く。

今日は、いつもよりやや遅く朝の散歩に出かける。ちょうど通学通勤時間にかぶった。自転車ってあんまり好きじゃない。考えて見ると、私は学生の頃、三割くらいの確率で遅刻で登校していた。勝手に早退することもよくあったな。体育館をジャックしたこともあった。小学二年生の頃である。結構自慢。結構自慢なので、ことあるごとに喋ったり、書いたりしている。そろそろ同じ話題の連続は避けねばなあ、と思っているから、しばらくは書かないでおこう。が、我ながら、すぼいなあ、私。7歳で、一人で、小学校の体育館を占拠してしまったのだ。そんな私を自由放任してくれた学校側もなかなかすごい。校長先生がいい人だったのだ。校長先生のいい人エピソードなのだが、私が教室になじめず、体育館を占拠したり、暴れまわったりしていた頃のこと、校長先生は、授業中に私と一緒に学校を抜け出して、近所の川でめだか取りをして遊んでいたのだ。校長先生にとっても、学校って窮屈なところだったのだろう、と思う。ぶっちゃけ、学びの場所なんてどこでもいいのだと思う。鉄筋コンクリート校舎だろうが、近所の河原だろうが。だって、学びっていうのは、なかなか抽象度の高い行為だから。場所にとらわれるほど、具体的な行為ではないのである。

話は戻る。なんの話だったか、忘れたけれど、そもそも、これって、日記でもなんでもなくって、ただ、思いつくままに思いついたことを書く場所なのだ。なんとなく、そういういい加減に書いた文章を100ほど作りたくて、日々、しこしことキーボードを叩いている。ところで、皆勤賞って、これほど無意味な称号もない。だから、なんなんだろう。管理者側が学生なり社員なりを管理しやすくするために作った、せっこい称号に過ぎないよな、と今になって思う。こういうせっこい称号にこの世の中はまみれている。頑張ったで賞とか。

そういえば、先ほど、イカをさばいていた。イカをさばくのは、きっとこれが人生で初めてである。生き物をいただくってことは厳かなことなのだろうけど、これまでさばいたことのない生き物をさばくのは刺激的な行為でもある。内臓も美味しそうだったけれど、ひとまずは、内臓類はだいたい全て取り出して、身の部分を食べることにする。眼球が水晶のようにぴかぴかしており、綺麗であった。ガラス体ってほんとにガラスなんだなあ、とびっくりする。タコ飯の気分で、ぶつ切りのイカを米と一緒に炊く。タコと違い、いったい丸々のスルメイカなので、命をいただいているんだなあ、と怖いような頭の芯がぼうっとなるような感覚がした。今も手からイカの臭いがする。そんなに臭くないのが少し不思議である。ずっと海にたゆたって暮らしてきたのだから、臭気など海水に流されてしまうのだろうか。

先ほど、近所のおっさんと歓談する。このおっさんは本当にいい人で、こんないい人いたんだー、ってびっくりするほどいい人である。もともと、そのおっさんが聞いていた音楽が隣室の私のところまで響くので、苦情を言いに行ったところから知り合ったのだが、そのようなきっかけにも関わらず、いつもにこやかに接してくれる。いい人だなー。そのほかに感想などない。いい人である。この人は、ごく自然に、他者にいい影響を与えるので、すごい。クリスチャンってそーいうところがすごい。

気がついたらご飯が焦げていた。まあ、いいや。

自己主張とは違う場所へ行きたい。自己主張って途中途中で微修正を重ねなくちゃならないから、面倒臭いのだ。自己主張をエゴに思わせないためのエゴにまみれた微修正とでもいうのか。自己主張を重ねていくと、わざわざ注目しなくてもいい他人の汚点が目についてくるし。本当に汚点なのかは知らないけれど。ネットの世界には嘘つきが多いからいやになったりもする。別に、何処かの誰かが私とは無関係に嘘の設定で嘘のブログを作成していようが、まあ、私には関わりのないことだし、どうだっていいことのはずなのだけれど、むかつくなー、なんて思ったりするのだ。こうして文章化すると、なんでむかつくのかふしぎになる事案である。というか、冷静に自分の心を見返して見ると、そこまでムカついていない気がする。多分、なんとなく、気になってしまうのだろう。寂しいから、他人がきになるのだ。それだけのこと。

寂しいって感情は割と大切なので、いつまでも寂しいままでいたいが、好きなことだけに関心を振りまいていたい。