こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

日記21

仕事ってなんだろう。仕事とは、リズムだ。生活とはなんだろう。生活とはリズムだ。この二つのリズムは相異なるリズムだったりする。だから、互いに干渉しあい、大抵の場合、生活のリズムが仕事のリズムによって崩される。ここで言っているリズムって言葉は、吉本隆明さんの「共同幻想」と言い換えてもいい。ただ、共同幻想って言葉よりリズムあるいは拍子という言葉のほうが深くより概括的だったりする。

話は変わるが、この頃性欲が旺盛である。相対的にである。この間まで、EDになったのかなあ、と思っていたのだが、人間そうそう本能を捨て去るわけではないようだ。

雨が強く降っている。服がかわかないので半裸で過ごしている。

また、話が変わる。生活空間って汚れていたほうがいいよなあ、とこの頃考えている。心地よい空間って、自分らしく汚れている空間って言い換えられると思うのだ。さらに、この考えを発展させれば、動物や人間による巣作りとは、自然の中のごく一部の領域を自分らしく、自分たちらしく汚して回るってことでもある。衣食住の住とは、いかに汚すか?の問題である。環境汚染、排気ガス、これらも、心地よさを感じるための汚れ、と捉えることができる。もちろん、私は、環境汚染が進んだ未来を住みよい未来とは捉えないが、そのように捉える人々も未来には存在するであろうし、今現在だって一定数いる。汚れ=居心地の良さ、という観点が納得いかない人のために、一つの比較対象を用意しよう。このように考えてみるのである。消毒液くさく照明もあかるく、常に整理整頓された病院で暮らしたいか?反対に、積ん読の山だらけの古書店で暮らしたいか?まあ、趣味の問題でもある。本好きなら断然後者であろう。要は、私たちが暮らしやすいなあ、快適だなあ、と感じる住空間とは、清潔できれいな空間ではなく、自分の好きなもので汚れまくった空間だろうということである。アトリエをイメージするといいだろう。画家の住居は、たいてい、空の絵の具が辺りに散乱し、壁だって床だって、飛び散った絵の具で汚れている。衣服だって、絵の具で汚れている。シンナーの匂いもシミについている。けど、その空間ってなかなか快適なのである。心落ち着くのである。逆に、潔癖症で、床も壁も衣服も絵の具一つ飛び散っていない画家の家っていうのは、心落ち着くだろうか。まあ、私自身画家の住居を訪れた経験はないので想像での判断であるけれど。

主婦たちや洗剤会社が喧伝する清潔さってなんなんでしょう。人間の生活を豊かにするのだろうか。漂白剤って。

私って、とことんまで主婦ってものが嫌いなのだ。くそみたいなこだわりにまみれた煩悩の塊。そのように認識してしまう。もちろん、ここでいう主婦っていうのは、一種の記号。別に、男でも主婦っぽいやつはいるし、主婦だけど主婦じゃない人もいる。私の母とか。

実は主婦って芋虫なんですよ。芋虫みたいに、ただ条件反射のみで生きている。そういう風に社会に仕組まれている。芋虫なんです。光傾性とかまあ、そういう傾向性のみで説明しきれる空っぽで薄っぺらい存在。あと厚化粧。芋虫のくせに信仰心なんてものは持ち合わせていて、まあ、双方向に、バカのくせに向かっていく。

レジャーというかお出かけの意義。それは、これまで人生で一度も体験したことのないことを体感しにいくこと。新しい体験なしじゃ、人は同じところをぐるぐる回ってしまいがちだから。で、実はこの世界って案外簡単に、人生で一度も体験したことのない体感を得られるものなのだ。一例あげれば、おしっこを飲んでみる、とか。ゼロ円である。逆に言えば、ディズニーランドへ行くことも、富士山に登ることも、人生初を体験できないなら、あんまり意味がないんじゃないなかあ、と思う。

私はこの頃、ちょっと行き詰まっている。