こっち

新しいブログを別サイトで始めた。棲み分けが必要だ。こんがらがった毛糸をぶちぶちとちぎって、あっちとこっちにわけよう。こっち側。

日記31

散歩から帰ってくる。散歩中は色々考える。けど、色々感じてはいないかもなあ、と思う。今後は感じ考えていこう。

以下、メモ書き。

植物が枯れるのは、植物の生活の質が低いままだからだろう。うんぬん。

わざわざ隠すことではないのでいうが、某は数年間(知的身体)障がい者の作業所に勤務していた。で、勤務するからにはいろいろこれはおかしい、と感じる場面にたくさん出くわした。ありがたいことだ。で、そのうち一つ、署名への半強制。いろいろな署名が回ってきたが、某個人の意見など御構い無しに、「書け書け」。ただ、他人から与えられた意見に賛同するだけの署名活動に、どれほどの意味があるのだろう?知性を育む土壌があそこにはなかった。

卒業することど同程度に、途中でやめることも大事だろう、とふっと思った。単に、某自身が辞職して以降、知的身体精神全面において成長を遂げているからだ。なにかしらの機関や学校を卒業することが成長につながる場合もあれば、何かしらかの機関を途中でやめることで成長する場合もある。途中で読むのをやめた本が案外記憶に残ることもある。

子供達に学校以外の場所があれば、学校が窮屈に感じなくなるだろう、という思考の果てが、マックスポーツや類塾なのだろうか?と愕然としたりもした。まあ、マックスポーツや類塾がどのような場所なのかは知らないけど。子供の居場所って、なんなんだろうなあ。それは何か役割を押し付けられる場所でいいのだろうか。保育園や小学校が子供の居場所なのだろうか。なんにもない場所を作りたい。