くうねるところ

ブログとは、そもそも読まない、か、読み流すものである(と俺は思っています。)

日記ーー創作について、など。

何か書こうかな、と思ったものの、ブログを開いた途端、気持ちがしぼんでしまう。

描きたいな、と思ったことは、頭の中にいろいろあって、一つ、実名で書いていたブログをやめたこと。一つ、毎朝のトレーニングを変更したこと。一つ、比喩表現について。一つ、創作について。

何はともあれ、全て、備忘録である。

実名で書いていたブログを取りやめにした。そちらのブログを優先していたため、ここしばらく、このブログを放置していたのであった。(反)教育論うんぬん、みたいなものを書いていた。受験産業の不必要性とか、学校教育の不必要性とか。かつて、このブログでも触れたことのある話題だと思う。ただ、いかんせん、自分の意見というのは、どこまでいっても自分の意見。一面的なものの見方に過ぎない、わけで、あまり、居丈高な記事は書きたくなかった。けど、どうにも、実名だとふざけすぎられなくって、面倒臭くなってやめることにした。100%watn toじゃなかったのが大きい。50%くらいだった。残り半分は義務。

気楽なのがいい。

やりたいからやるってのがよくって、完全に自分本位でやりたいってことじゃなきゃ、ノルマとか決められない。人から求められてもできないのだろう。

このブログは、やりたいからやりまくって方向ですすめられたらなあ、と思う。まあ、途中で、飽きたら、また放置するのだろう。やりたいからやるのであって、他人の目は、現時点ではどうでもいいのだろう。

匿名性に安心感を感じる自分もいる。

俺の中で、本音や社会に訴えたいことは、正々堂々実名で書かなければならないって思いがあったのだが、そのこだわり捨ててもいいんじゃ無いかな、って思っている。

確かに、匿名だと、無責任だ。

だが、無責任社会に訴えたいことだってある。

実名にこだわるようになったのは、大塚英志さんの発言に影響を受けてなのだが(彼が主催していた創作憲法のコンクールに匿名の応募があったらしく、その匿名応募作を大塚さんは批判していた(気がする。記憶があやふや))、まあ、大塚さんの意見は大塚さんの意見。すべて他人に染まらなくたっていい。

匿名だと無責任だからいい。

というのも、俺は俺なりの意見をこの社会に対して抱いているわけなのだが、その俺なりの意見は、所詮俺なりの意見だと思っている。俺の意見によれば、学校教育は、即刻廃止したほうがいいそうだ。少なくとも、塾産業や家庭教師産業はぶっ潰すべきなのだそうだ。正直、家庭教師だの塾だのは、子供を食い物にする産業なので、心底腹が立っているのも事実なのだ。いや、そこまで腹は立っていないか。ちょっと不思議なだけだ。仕事って、誰かの役に立つためにあるんじゃ無いの?にも関わらず、あなたたちは子供に偏差値洗脳することを仕事にして何がしたいの?って。

ちょっと、嫌味だなあ、と思う。我ながら。

けど、まあ、その一方で、塾や家庭教師産業に従事している人たちの大多数は「いい人」なわけで、そういう人の仕事を全否定するのもどうなんだ、って気持ちもある。つまり、自分自身の意見はあるんだけれど、その自分自身の意見を完全に信任していないって状態。

その状態で、実名を用いて、自分の意見をたとえネット上であっても、公にすることに、疲れを、覚えてしまったのだった。

気づかれってやつ。

ただ、くどいようだけど、受験産業って滅びてしまえばいいのになあ、と思う。

「進研ゼミ」って商品がある。僕が子供だった頃、この商品は15分の勉強でテストで高得点ってのが売りだった気がする。が、待ってほしいのだ。

一日15分間を使って、学校の勉強をするなら、その勉強方法そのものを子供達の手に委ねたほうがいいのだ。そのほうが、絶対、子供たちのためになる。

「進研ゼミ」のような勉強方法をパッケージ化してしまっては、子供たちに勉強の際創意工夫する意欲、自分自身の許容範囲内の時間で、どんな風に勉強するかって、工夫のチャンスが奪われてしまう。

「進研ゼミ」だの「Z会」だのは、子供に勉強の仕方を工夫する機会を奪っている。子供が学習する機会を奪うことが、受験産業の仕事なのだろうか。

って、話が脱線している。

が、そもそも、この日記に主題などないのだ。

実際のとこ、「とりあえず2000字」書こうって気持ちしか、僕にはない。

備忘録を書いておく。

・ここ一月ほど続けてきた中国武術の練習方法を昨日から帰ることにした。これまでのメニューは二時間立禅。15分、ストレッチ。30分太極拳だった。

が、この頃二時間の立禅が集中できなくなり、このまま意欲を失ったまま続けてもつまらないので、やりようを帰ることにした。具体的には、二時間ぶっ通して行なっていた立禅を、一時間かける二回に、二分割することにした。二時間ぶっ通しでやるのもそれはそれで効能が高いのかもしれないが、やりたいようにやりたい。また、この頃、立禅より、套路の方に、成長を実感しているというのも理由の一つ。朝、二時間ぶっ通しで立禅をやると、今の俺だと、やや体力が消耗してしまい、套路後半で疲れてしまうようなのだ。

というわけで、現在のトレーニング。朝、ストレッチ、立禅一時間、太極拳套路30分。寝る間際、立禅一時間。套路はより丁寧に、より質量共向上させていきたい。

・比喩表現についての見解については、後日書こう。割と長文になると思うので。

・創作について。

創作行為とは、「こうでなくちゃならない」「こうるべきだ」って思い込みを裏切ることなんだろう、と思う。つまり、叛逆。何に対する反逆かは、作者の立場次第だろう、と思う。社会通念に対する反逆でもあるだろうし、これまで自分自身が抱えてきた、「自分とはこうあらねばならない」という思い込みかもしれない。で、そうした反逆の記念碑として作品が取り残されるのだろう、と思う。取り残される?うーん、ちょっと違うかしら。

ただ、叛逆は、反逆を企てた段階で、成功しているわけで、じゃあ、なんのために作品が残るんだって?疑問だって湧く。他者を感染させるため?けど、その他者への感染だって、他者に新たな思い込みを与えるだけじゃないのか、なんて思ったりする。

反逆それ自体にしか価値がないなら、創作、ってなんなんでしょう?