くうねるところ

ブログとは、そもそも読まない、か、読み流すものである(と俺は思っています。)

修行についてなど〜

0)主題は修行。

1)寒くなってきた。冬である。季節は変わる。が、実を言うと、全然寒くない。季節の変化って、こういうところがいい。

こういうところ、とは、気温の変化に知らず知らず肉体が対応していること。もし、十月当時の僕が、今この十二月二十三日にタイムスリップしてきたら、寒さのあまり、気が狂うであろう。が、僕はまだ、冷静だ。少しずつ少しずつ、冬の寒さに慣れてきた。だから、僕は今、夏と比べて気温は相対的に低いにも関わらず、全然寒くない。短パンTシャツで屋外をぶらつくことも可能。まあ、多少肌寒かろうが。

2)修行において大事なことは、おそらく、二つある。もちろん、ここで掲げる二点は、現時点での僕の観点だから、何か、もっとよい注目点があるかもしれない。が、現時点ではどうだっていいよ。

a.第1点。修行において重要なのは、「修行前の自分」と「修行後の自分」の変化度。変化度と言う言葉では、思考実験の自由が失われるかもしれない。ただ、ここで表現したいのは、修行ってものは、修行前の自分→修行後の自分へのタイムトラベルである、ということ。

修行前の自分=修行後の自分

であっては、それは修行とはいえない。そういうのを、「時間泥棒にあった」という。「時間泥棒に時間を盗まれた」という。

ここでいう、「時間泥棒」とは何者であるか?それは、各自の人生によって異なる。しかし、しばし、時間泥棒とは「権威ある者」ないし、「権威あるかのように振舞っている者」である。もちろん、これら「権威ある者」たちが必ずしも、「時間泥棒」とはいえないであろう。

が、大抵時間泥棒だ。

例えば親戚のおじさんとか。

b.第2点。第2点は実は、第1点から自然導き出せる事実でもある。第1点の重要点は「修行とは修行前と後で変化すること」「修行とは変化すること」であった。ちょっと、端折った、要約かもしれないが、要約って端折るものだった。

この第1点から導き出される事実それは、「修行期間中はどうでもいい」だったりする。

要は、なんらかの点で、

修行前の自分<修行後の自分

となっていればいいのだ。

と慣れば、修行中の自分が、どんなにダメダメの馬鹿野郎であっても、どんなに能天気であっても、そもそも修行中何をしていたか記憶を失っていても、いいのである。

これは意外と、重要な点ではないかなあ。

3)えっと、なんの話だったっけ。

ありとあらゆる物事を修行としてとらえてみよう。

例えば、受験勉強とは何か?

受験勉強とは修行である。

仮に、受験勉強前の自分と受験勉強後の自分が瓜二つだったら、なんというか、虚無だ。

虚無も虚無でいい。何しろ、虚無に浸る前と、虚無に浸った後とでは、おそらく、何かしかの、変化=修行の達成が期待されるから。期待だが。

何はさておき、受験勉強とは、「所詮」修行である。

そもそも、受験勉強が修行である、と言う主張は、受験勉強後に思いを馳せればすぐにピンとくる。

受験勉強後、高校なり、大学なりに進むわけだが、高校なり、大学なりに在籍する目的とは何か?と言われれば、

入学前の自分→卒業(ないし中退)後の自分へと変化するためだろう。

そして、その変化において、

入学前の自分<卒業(ないし中退)後の自分、となっていなかったら、んな大学行かんほうがいい。高校にしろ。

そもそも、受験にクリアーして進学するってこと、進学の目的=修行なのだ。

じゃあ、その目的を先倒してやっちまえってのが、「受験勉強」。

が、この辺のことをわかっていないのが受験産業と(良心の少ない)学校の教師だろう。

なんだか、口が悪くなっているな・・・。

逆の見方もできる。

「修行」になっていないなら、そんな受験勉強、そんな進学、やめてしまってもいい。

4)修行にはさまざまなやりようがある。そもそも、修行の定義とは「変わる」ことでしかない。「悪の修行」とか「鬼になるための修行」とかだってありえる。

「暗殺者になるための修行」とかも。

問題は、修行に入る前の僕たちには、「修行後の自分の姿」がよくわからない、ということ。なので、修行前に、「こういう自分にだけはなりたくない。ならない」って必要最低限の自分に対する制約みたいなものをつけるほかないだろう。

例えば、「他者を喜んで傷つけるような自分にはならない」など。

正直、この修行後どうなるかわからない。ってことは、希望でもあり、一歩間違えれば、大惨事にもなりかねない問題なので、僕自身うまい解決法がわからない。

直感を信じる、くらいの方針しかない。

5)修行方法はなんだっていい、のではないか、と思う。

もちろん、先に述べた何かしらかの制約は課した上で。

そもそも、修行とは「変わる」ことでしかないのだ。

そして、受験勉強のゴールとされている進学の目的だって、「変わる」ことでしかないのだ。だとすれば、受験勉強を受験内容にチューンナップする必要性は薄い。

そもそも

受験勉強も、学校教育も、等しく修行であるとすれば、何を持って、受験生の資質をはかると言うのか。試験とは、今、この時、行われる者であり、時間軸上の一点で行われる。それじゃいくら微分したって、受験生の変化度(?)はわからない。

6)なかなかいいことを書いた。

が、やや、話題を受験に限定しすぎたなあ。修行って、もっと広い概念だから。

例えば、誰かのことを好きになる、ってのも、「心の変化」なわけで、修行ですよね?