くうねるところ

ブログとは、そもそも読まない、か、読み流すものである(と俺は思っています。)

川柳十二首 「風になりたい」など流行歌について

・妄想は世界を飲み込む。その飲み込んだ「こと」が小説。

・となると、妄想とは境界線、なのか。水と油があるのではなく、水と油を分離する境界線があるのみ。

・現実そのものの小説は小説ではないだろう。

・現実は形成されたものだが、いつどこで、形成されたのか。

 

話は変わるが、芸人の小梅太夫はなかなかいい。全然笑えないところがいい。正直、僕は小梅太夫の芸を見て、笑ったことが一度もないのだが、そこがいいなあ、と思う。カンニングのコント(?)に通じるものがある。在りし日のカンニングの漫才(?)も、僕は笑わなかった。が、そこがいい。

人を笑わせるお笑い芸人というのは、なんだかよくわからない。笑いたくなったら、薬を飲めばいい。あるいは、ラーメンズのDVDを見ればいい。

小梅太夫の良いところ、というか、すごいところは、小梅太夫本人は、人を笑わせようとしているっぽいところがすごい。彼の芸は、いわゆる、小ネタをただ淡々と続けるというそういうものなのだが、この小ネタは、明らかに笑えるネタじゃなきゃあかんのだ。笑えない、よくわからない話を、ただ淡々と次から次にする人間ってすごい。そして、そのすごい人間こそ小梅太夫だったりする。

誤解の内容に明言しておくけど、僕は何も、皮肉っているわけではなくって、ふっと、小梅太夫さんって、冷静に考えてみると、ちょっとすごい人だなあ、と思った、ってだけ。

 

慣用句って嫌いだよ。

慣用句使う人間は阿呆だね。

きょうされんのスローガン(?)は、障がい者一人一人が主人公の社会を、とかそんなんだったと思うのだが、ほんと嫌なスローガンだ。

主人公について、もちょびっと思考を働かせてごらんよ。

ボロ雑巾のように打ち捨てられる主人公だって、あるんだぜ?

曽根崎心中のあの二人は、どう?

人間がいろいろいるように、主人公だっていろいろいるのだ。当たり前じゃないか。

きょうされんは、ばかだよ。

何が障がい者を主人公に、だ。

何か格好つけているのだろうか。

主人公って言葉を、なにか、魔法の呪文と思い込んでいるのだろうか。

きょうされんは、ばかだよ。

ばかだよ。

勝手に主人公になって、イカロスのように、海に落ちてしまえばいい。

慣用句を用いて、格好つけている人間は、葵の紋所を見せつけて、悪者をいびっている助さんと格さんだろう。なには、ともあれ。

きょうされんは、ばかだよ。

 

「わになって、あいつめがけて、石投げろ」

「みんなして、にくいあいつを、いじめよう」

「元気よく、汚い歯茎で、笑おうね」

「挨拶を、しない子供は、撃ち殺せ」

「偏差値が、60以下は、ひとでなし」

「父母を、思い切りよく、殴ろうね」

「憎しみは、僕らの大事な、宝物」

「坂道を、転がり落ちる、いじめっ子」

「羽交い締め、殴って殴って、逃さない」

「母ちゃんが、発情したら、坊さんと」

「葬式で、坊主たんまり、金もらう」

「空手家が、弟子を打つ打つ、弟子を打つ」

「柔道家、寝技がしつこい、強姦魔」

 

特に意味はない。

 

今日はほんのりと寒い。

 

俺は日本庭園が嫌いである。あれはクソだ。どこらへんがクソかといえば、砂利を引きまくっているところがクソだね。そういえば、このブログでも以前、この話題に触れたかもしれない。なぜ、寺の庭に砂利が敷かれているか?なぜ、枯山水とか吐かして砂利を敷いているか。それは、生命を抑圧するためである。なぜ、生命を抑圧したがるか、それは、修行の邪魔だからだ。なんのための修行か、坊主どもが気持ちよくなるための修行である。その修行に、雑草ぼうぼうの境内じゃ集中できんのだ。

だから、坊主は庭に、砂利を撒く。

格好をつけるために、枯山水だなんだ、と伝統ぶる。自己正当化のために伝統だ伝統だ伝統だ。

自然に芽生える生命を抑圧する。そして、彼らは一人勝手に悟ろうする。勝手に悟ればいい。けど、生命を抑圧するなよな、と俺は思う。

そういうのなんていうか知ってるかい。小乗っていうのだ。

墓場が砂利で覆われているのもそうさ。死者のための生命を抑圧するんだ。わけがわからんねえ。

雑草が何をしたっていうんだい。

草花を未然に殺すことが、坊主の勤め。たゆまぬ坊主どもの努力が、枯山水。勝手に悟れ。勝手に悟っとれ。ばか。

 

THE BOOMの「風になりたい」は心中ソングだ。

http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=55779

よく歌詞を見直して見な。

何、ほざいてんだよ。

天国じゃなくてもいい?

楽園じゃなくてもいい?

どの口がほざくか。馬鹿野郎。馬鹿野郎。

俺は嫌だぜ。

地獄のままじゃ、嫌だぜ。

この世は地獄。

そのままで、いいわけ、ないだろう。

「風になりたい」が何を意味するか?

考えたことがあるのかい?

「あなたの手の温もりを感じて」

それは、心中っていうんだぜ。

 

僕が、かつて、障がい者施設で働いていた頃、

職員たちの打ち上げでも、障がい者含めての行事でも、

本当に、繰り返し繰り返し、「風になりたい」が歌われた。

本当に、本当に、本当に、あなたたちは「楽園じゃなくていいの?」

「ただ、風になりたいだけなの?」

なら、政治活動なんかやめちまえよ。

署名活動なんかやめちまえよ。

このままで、いいんだろ?

このまま、楽園じゃなくて、いいんだろ?

なら、くだらない権利運動、やめちまえよ?

 

俺、何か、へんなこと、言っているかな?

 

運動会で「風になりたい」を歌わないでくれ。

「風になりたい」って歌を好きな人間がいるのは構わない。

曽根崎心中」好きな老人が居たっていいだろう。

けど、子供達に「心中ソング」を繰り返し繰り返し吹き込まないでくれ。

もう一度、冷静な耳で、「風になりたい」と向かい合って見てくれ。

どこが、いい歌なんだい?

どこが、いい歌なんだい?

 

この世の中には、クッソくだらない歌が満ち満ちている。

しかも、いいものぶって、のさばっている。

もちろん、こんな意見、あくまで俺の個人的見解さ。

けど、俺には、そう思えるんだ。

 

「世界で一つだけの花」

http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B02421

こんなの、タレント礼賛歌だ。

「花屋の店先に並んだ花」ってどれだけフィルターかけているんだ?

俺たちのうち、何パーセンが、いや、何パーミルが、花屋の花なんだ?

この世に数多ある植物のうち、どれだけが、花屋なの花なんだい?

少なくとも、俺は、花屋の花じゃない。

障がい者事業所で、世界に一つだけの花を歌う様は、俺には気持ちが悪くて耐えられない。

この場に、「花屋の花」に相当する人間が、どれだけいる。

「花屋の花」っていうのはだな、SMAPみたいな人たちのことを言うのである。

でもって、俺の目からみたら、花屋の花も、そこら辺の苔も、それぞれ可愛いのである。んなこともわからんのか。ばかが。

 

仰げば尊し

http://j-lyric.net/artist/a00126c/l008d65.html

これまたクソである。

いや、曲自体はクソではないかもしれない。

が、んな歌を子供達に半強制的に歌わせる教師どもはクソではないか。

「我が師が、仰いで尊いか否かは」子供達自身が、実際に成長してから、各自の判断で決めればいいことだ。

そもそも、先生=尊いというのは、固定観念でクソだ。

どうして、誰もわかろうとしない?

仰げば尊し」を子供達に歌わせることは、子供達に「私たちの小学校、中学校の先生は素晴らしい人だった」と洗脳することに他ならないんだよ?

それって、人権を踏みにじっているよ。

 

最後に、好きな歌。

好きな歌はたくさんあるよ。

 

「天国」映画「too young too die」の主題歌。

http://j-lyric.net/artist/a05b82d/l03b643.html

この歌は「風になりたい」と真っ向から対立している。

「風になりたい」は、あなたと、楽園ではないクソ世界から死にたい、と言う歌だ。

「天国」あなたがこの世界にいなきゃ、この世界はくそったれだって、歌だろう。

マハトマ・ガンディーが暗殺されたこの世界は、地獄だけれど、もし、彼が暗殺されないような世界だったなら、天国だろう、と思うのです。

これは、「天国」という歌に対する勝手なこじつけです。

けど、軽々と発言してはならない事柄ですが、

もし、

「この世の中から戦争と凶悪犯罪がなくなって、

誰一人、戦死することなく、

誰一人、殺されることなく、

みんなが天寿を全うできたなら」

それは天国じゃないのですか?

「天国」って、そういう意味の歌だと勝手に思い込んでいます。

この世界は、どちらかといえば「地獄」だろう。

なぜ、この世界が「地獄」かって言えば、

それは、もういないあなたが、もういないからです。

 

中島らも「いいんだぜ」

ja.chordwiki.org

僕は、障がい者施設で「世界に一つだけ花」より、中島らもさんの「いいんだぜ」を歌いたかった。

ぶち込まれたくないけど、

少なくとも、「花屋の花」より、はるかに普遍的な歌だと思う。

 

RCサクセション「ママもうやめて」

http://j-lyric.net/artist/a00075e/l00c5e1.html

仰げば尊し」なんて子供達に歌わせて、子供達の尊敬を強要しないでくれ。

 

以上は、極めて偏見に満ちた、個人の見解だ。

真に受けるな。

 

しつこいようだが、

僕は、別に、「風になりたい」「世界に一つだけの花」「仰げば尊し」という曲そのものを攻撃したいわけじゃない。

「風になりたい」だって、時には、大好きな女性と心中してしまいたい気持ちになることはある。それはわかる。太宰だってそうだった。

けど、それを、みんなして歌うなよ、ばか。と言いたい。僕はTHE BOOMを攻撃したいのではない。THE BOOMに能天気に酔いしれいてる馬鹿どもを攻撃したい。

 

世界に一つだけの花」だってそうだろう。

あの歌は、いわば、「落ち込んでいたんだけど、花屋の綺麗な花を見て、気持ちが和んだよ。ありがとう」って歌だろう。そう言うこともある。そして、それは結構素敵なことだろう。けど、そんな繰り返し繰り返し、何十年も歌うような歌じゃないよ。本当に、花屋の花に慰められたことのある人たちだけが、細々と歌えばいいんじゃないかな。

 

仰げば尊し」だってそうだ。

仰げば尊し」の歌詞は意外と感動的である。きっと、作詞者は、本気の真心を書いたのだろう。けど、その真心は、作詞者の真心だ。子供達に押し付けるなよ。馬鹿。と思う。馬鹿野郎。馬鹿。

仰げば尊し我が師の恩」と思った人たちだけ、「我が師」を思って歌えばいいよ。

 

僕は、心中したくはないし、俺は花屋の花だなんて自意識ないし、これまで一人だって、我が師は尊かったなあ、と思ったことはない。基本的に、「先生を自称する野郎どもは、低脳でくだらんわあ」と思ってきた人間だ。何しろ、僕は頭がとびきりいいから。