くうねるところ

ブログとは、そもそも読まない、か、読み流すものである(と俺は思っています。)

思いついたことごと。冷え性、信じる、ふくらはぎ、仕事

ここ二、三日、夕方から朝にかけて雪が降っている。積もるってほどではないのだけれど、山並みは綺麗だ。日中の空は澄み渡っており、太陽がいつもより眩しく感じる。

 

冷え性について、特に根拠なく考えていること。

この頃指先に冷たさを感じるのだが、凍傷や霜焼けになりかねない冷たさと、そうでもない冷たさがあるように感じる。要は、冷たいことは冷たいのだが、指先までしっかり血液が循環している時と、冷たくて冷たくてろくに血が通っていない時とがあるみたいなのだ、観察していると。あくまで、根拠のない直感なのだが、血が循環している時に感じる冷たさは、帰って肉体の寒さへの順応を促してくれるんじゃないかなあ、と思い放置している。実際のところどうなのだろう。一ヶ月後くらい結果がわかるかな。

 

「信じる」って心の働きの評価が揺れている。ふっと思いついたことの一つに「自分がこれはいいって信じていることを人に客観的に推薦することは不可能」って気づき。

信じるってそういうことだろう。理屈じゃないのだ。だから、反面「こうこうこういうりゆうで、これこれはいいんだよ」といった筋道だった主張ができない。

好きな本を知人に贈ろうかなあ、と思っていた際、この本いいよー、って推薦文を書こうと思ったのだが、とどのつまり、「俺はこの本はいい本だと信じている。で、実際読んでいて、すごく楽しい」としか言いようがないことに気づいたのだった。これじゃあ、ただの押し付けっぽいよなあ、と。

宗教の勧誘ってどういう理屈で成り立っているんだろう、と考えてみたり。自分自身が、「この教えを信じれば救われる」と信じている教えを、どのようにして他者へ「これいいよ」と伝えられるのかしら。

逆にいえば、他者に「これいいよ」と進められるためには、まるっきりその良さを信じていないことが必要なのかしら。まあ、そんなわけないか。

好きなこと、人生をかけて取り組もうと思っているものに対して、信仰心を持ちたくない、という信念がある。この信念も、まあ、信仰心の一種なんだけど。なんというか、信仰心を捨て去ったほうが、物事を突き放して観察することができて、他の人では決して到達できない領域までたどり着ける気がする、というのがその理由。その一方で、「信じてない」「信じてない」って建前ではいっているけど、心の片隅には、俺だって信仰心を持ち合わせているんだろうなあ、と思ったりする。思ったりする、というか、それが実情だろう。方法的懐疑なんて言葉があるけれど、俺自身は首尾一貫した一生涯の懐疑主義者になりたい、って欲求があるのだ。が、果たしてそんなことかのかしら、と疑ってみたり。

特にオチがあるわけでもない。

 

ふくらはぎの肉付きがいい。立禅の効果なのかなあ、まあ、そうなのだろう。立禅以外に、特に下半身使うことないし。一見なんのことはないふくらはぎなのだが、坐禅を組むと、もっこり肉が盛り上がるのである。

体重は特に変わらないのだが、肉の質が変わったのだろうか。

数ヶ月前まで、ストレスや食生活が安定しなかったりで、47〜50キロを行ったり来たりしていたのだが、それが現在は50〜51キロをほぼ安定している。以前より体重の揺れ幅が少なくなったということも、肉体のコントロール感が高くなったってことなのかしら。

現在の食生活についてのメモ。一日二食。昼ごはんの夕ご飯。基本的に菜食。たまに肉。が、ここしばらく、菜食に順応してきたのか、肉を食しても、あまりいい気持ちがしなくなってきた。肉食に対して、「悪いなあ」という気持ちが根付いたためかもしれない。現在、肉より甘いものや卵に嗜好性を感じる。嗜好性って言葉遣い変?

 

(昨日の続き)消費行動も含めて、人間のありとあらゆる行動が仕事となりうる、という発想は、俺たちの行動をどんどんシンプルにしていく気がする。まあ、ごちゃごちゃ考えすぎて、自縄自縛に陥るケースも考えられるが。

というのも、ありとあらゆる行動が利他的行動になりうるという発想でもあるから。利他的ってのもいいすぎかもしれないが。何はともあれ、利他的行動を自発的にとっている間、俺たちは煩悩からそこそこ自由でいられる。

あくまで、俺の所感だが、利他的行動って、どこか冷めている。なんというか、どこまでもどこまでもという追求がない。一方、利己的行動には、はどめが利かない。美味しいものはいくらでも食べたくなるし、妾はいくらでも欲しくなる。けど、食べるって行為や男女関係にまで利他的か否かって視点を取り入れたら、いくらでも食べたくはなくなるだろうし、いくらでも妾が欲しいとかはなくなるだろう。大奥みたいなことにしちゃったら、妾同士が喧嘩しあい悲惨なことになるし、たくさん食べすぎたら誰かが飢えるかもしれない。

で、結果、あまり働かなくて済むようになる(のではないかなあ)と思う。

なんというか、のんびりくつろぐ、とか、だらだら怠けるって行為に、光を当てたい。

その一方で、ひとりぼっちでのんびりするのも嫌だなあ、という思いがある。孤独感というか、一人ぽっちな状況を気軽に抜け出す方法。複数人でのんびりする方法。方法というか、状況、か。そういうのって大事だなあ、と思う。