くうねるところ

ブログとは、そもそも読まない、か、読み流すものである(と俺は思っています。)

母との会話、輪廻転生ってどういうことかしっかり考えてみよう、スピリチュアル批判、煩悩から自由に(なってほしい)

先日母と以下のような会話を行なった。

母「カラオケ行かない?」

子(というか俺)「(カラオケには)もう一生分行ったから、いいよ」

母「まあ、うらやましい。私も、そのくらい人生を満喫しないと」

子(黙っている)

母「けど、忙しい。現世じゃ足りない。来世ではもっと(うんぬん)」

 

人生いろいろ。人生の捉え方もいろいろなんだろうなー、とは思います。

けど、

母は、一つ、大事な点を身としている気がします。

 

輪廻転生を信じるのは勝手だけど、来世も人間に生まれると思うなよ?

 

仮に、魂的な存在がこの世にはあって、魂が輪廻転生していくとしても、

母おそらく、ダニ、とか、バッタ、とか、よくてゴキブリあたりに生まれ変わるんじゃないかな、と思う。

だから、来世では、カラオケなんかできないよ、と思う。

 

うーん。別に、母を悪く言いたい訳ではないし、悪口のつもりでもないのだけれど、

母や母に似たような大半の人間たちは、

おそらく、ダニとか、バッタとか、コオロギとか、ゴキブリに生まれ変わるんじゃないかなあ、と思う。思考パターンが、ダニやバッタ等々昆虫と似ているから。

まあ、僕自身は、どうなのかはしらない。そもそも、記憶が継承されないなら、輪廻転生などあってもなくてもどうでもいいだろう。仮に、輪廻転生があるとしたら、ただひたすら魂を傷つけ続けるだけのことですよ?それって。

(魂的なものが生と死を乗り越えて継承され続けるのだとしたら、その魂的なものには、同一性を保つと同時に、記憶とは別の記録装置としての役割も果たすのだろうから。かりに、記録装置としての役割を果たさないなら、いくら生と死を繰り返そうと、その魂は不変ということになり、じゃあ、んなもんあってもなくっても俺たちゃにゃ関係ないわーってなるだろう。現に関係ないのだろうが。(魂は、いつか、記憶や人格がよみがえるための符号のようなものだ、という考え方もありそうだが)

人間の生においての傷、バッタの生において傷、そういう諸々の傷が魂に刻まれ続ける。それがおそらく輪廻転生ってものだろう。なんじゃ、そのクソシステムは、って話だ。)

 

 

私は、ずっと現世も来世も人間のままって、結構な差別主義というか、貴族主義的発想だぜ、と僕は思うのだが、庶民を自認する人々にこそ、こうした貴族主義的発想が根強い。それはおそらく、庶民庶民といったところで、一等国日本の庶民、という帰属意識が彼らに根付いているためだろう。

 

かっこう悪いぜ。

 

 

もし仮に、来世がバッタだとしたら、今、人生を満喫する意味って何かあるのかな?

スピリチュアリストの人、輪廻転生を信じ込んでいる人たちは、その辺のことも考えてもいいのではないかな、と僕は思います。

きっと、虚しさを感じるだろう。

けど、それでいいんじゃないかな、とも思うのです。

人生を満喫する=カラオケやり放題って、つまんないじゃないですか。

人生を満喫する、これは裏を返せば、人間特有の煩悩に溺れるってことでもあるのだろう。バッタはカラオケやりたがらないし。歌いたいなら、そこらへんで歌えばいい訳だし。いや、まあ、うるさいからやめてほしいが。

 

自分の世界に閉じこもっている母親は気持ちが悪い。

けど、俺自身はどうなんでしょう?

微妙だなー。俺自身自分の世界が大切である。ゆえに、自分の世界に閉じこもっている人たちとは縁を切りたい、のである。彼らにそばに寄られると、彼らは無遠慮に、俺の世界を侵食してくるから。

俺の言葉一切に遠い目をして答える母が、あんまり、好きではない。

 

人生を満喫する=人間としての煩悩に溺れる=自分自身の利益のみに固執する=自分の世界に閉じこもる、だとすると、そんな人間とは、話すだけ無駄であろう。

無駄、なのかなあ。うーん。

母には、これから、ほんの少しだけ、働きかけるつもりである。誕生日プレゼントを与えるのだ。頭が良くなる本を与えるのだ。気分は、筋肉少女帯の「香奈頭を良くしてあげよう」だ。いや、ちょっと違うなあ。あの歌において、香奈は愛らしい少女だが、俺は、母のことあまり愛らしいとは思っていない。

このまま母の頭が悪いままだと、いやだなあ、という俺のエゴが働いているだけだ。

母の人生は母のものだろう。俺が立ち入ってもいいのは、頭が良くなりそうな本を母に買い与えること、までだろう。

母がその本を読むかどうかは、知らない。

母がその本を読んだ結果、固定観念を自力で打ち破るかどうかも、知らない。

 

うーん。気持ちが重たく沈んできた。

本当は、俺、母のことなどどうだって良くって、まあ、あまり関わりたくないのだろうか。ああ、母を殴りたい。

殴りたいのだ。腹部を。

 

うーん。いや、殴りたいって訳でもない。

 

実は、母に対して何かを語りかけたい、とか、何かを働きたいとか、そういうのじゃ、ないのだ。

どうだっていいよ。

俺は、母に類似した人間全般に、何かを語りかけたり、何かを働きかけたいのだろう、と思う。

うん。そうなのだろう。いや、違うかなあ。

 

母と一緒にいると、何かが狂ってしまう。

が、その狂いを泰然自若と何事もなかったかのように修正することも、武術、というか、まあ、人生ってやつだろう。